最初はやさしい入門です。下に進むほど詳しい説明や研究内容を読めます。
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子ども向け
大昔のインドに、やさしく勇敢なラーマという王子がいました。父はアヨーディヤーという町の王で、みんなはラーマが次の王になると思っていました。ところが、王の妻の一人が昔の約束を守るよう王に求め、ラーマは14年間、森で暮らすことになりました。
ラーマは文句を言いませんでした。妻のシーターと、仲のよい弟ラクシュマナといっしょに森へ行きました。三人は木や川、賢い修行者たちに囲まれて、つつましく暮らしました。
ある日、十の頭を持つ悪魔の王ラーヴァナが、三人をだましました。金色の魔法の鹿でラーマとラクシュマナを遠くへ行かせ、そのすきにシーターを空飛ぶ車に乗せ、島にある自分の国ランカーへ連れ去ったのです。
ラーマはシーターをあちこち探しました。そして、猿や熊の仲間と友だちになりました。とくに勇敢な猿ハヌマーンは、海を大きく跳び越えてラーヴァナの庭でシーターを見つけ、ラーマが助けに来ると伝えました。猿たちは石を積んで海に橋を造り、ラーマの軍は大きな戦いをしました。ラーマはラーヴァナを倒し、シーターを助けました。
この物語を『ラーマーヤナ』といいます。意味は「ラーマの旅」です。初めは、インドの古い言葉であるサンスクリット語で、長い詩として書かれました。その後、ほかの言葉の物語や踊り、人形劇、絵、漫画、テレビなど、さまざまな形で語りつがれています。毎年秋のダシェラー祭には、インドの多くの人がラーヴァナの大きな人形を燃やし、善が悪に勝ったことを祝います。
ひと目でわかる
- 種類
- サンスクリット語の叙事詩(イティハーサ、「かくあった」)。伝統的に「最初の詩」を意味するアーディカーヴィヤと呼ばれる
- 伝統上の作者
- 聖仙ヴァールミーキ(Vālmīki)
- 成立年代
- 数世紀をかけて成立。中心部分は紀元前7~5世紀ごろから紀元前4世紀ごろまでに、後から加わった部分は紀元3世紀ごろまでに成立したとされることが多い(年代には議論がある)
- 長さ
- 約2万4000の詩節(シュローカ)、約500の章(サルガ)
- 構成
- 七つの巻(カーンダ):バーラ、アヨーディヤー、アラニヤ、キシュキンダー、スンダラ、ユッダ、ウッタラ
- 舞台
- ガンジス川流域のアヨーディヤーとコーサラ国、インド中部・南部の森、ランカー
- 主な登場人物
- ラーマ、シーター、ラクシュマナ、バラタ、ダシャラタ、カイケーイー、ハヌマーン、スグリーヴァ、ラーヴァナ
- 広がり
- 南アジアのほぼすべての言語や、東南アジア(タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、マレーシア、インドネシア)で語り直されている
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『ラーマーヤナ』とは何か
『ラーマーヤナ』(「ラーマの旅」または「ラーマの歩み」)は、古代インドの二大サンスクリット叙事詩の一つです。もう一つは『マハーバーラタ』です。アヨーディヤーの王子ラーマが森に追放され、妻シーターを悪魔の王ラーヴァナにさらわれた後、ランカー島での大戦争を経て彼女を取り戻すまでを描きます。
インドの伝統では、この作品を「最初の詩」を意味するアーディカーヴィヤ、作者とされる聖仙ヴァールミーキを「最初の詩人」を意味するアーディカヴィと呼びます。これは『ラーマーヤナ』が最古のサンスクリット文献だという意味ではありません。ヴェーダのほうがはるかに古いからです。賛歌や祭式の文献とは異なり、意識的な技巧で磨かれた詩、カーヴィヤの最初の作品として記憶されているという意味です。
ヴァールミーキの作とされる版には約2万4000の詩節があり、その多くは二行からなるシュローカという韻律で書かれています。全体はカーンダと呼ばれる七つの巻に分かれます。現代の研究者の多くは、この詩が口頭の語りから文字に記された作品へと数世紀をかけて発展し、最初と最後の巻は中央の五巻より後に加わったと考えています。
『ラーマーヤナ』は物語であり、道徳の手引きでもあり、多くのヒンドゥー教徒にとっては聖典でもあります。ラーマはヴィシュヌ神のアヴァターラ(地上に現れた姿)として崇拝され、ハヌマーンはインドで最も親しまれる神々の一柱です。仏教徒やジャイナ教徒もこの物語を共有しています。東南アジアでは、主に国民的な叙事詩や演劇の伝統として親しむ人も大勢います。
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巻ごとのあらすじ
第1巻「バーラ・カーンダ」(少年期):アヨーディヤーのダシャラタ王には息子がいなかったため、大きな祭式を行います。三人の妃から四人の息子が生まれます。カウサリヤーの子ラーマ、カイケーイーの子バラタ、スミトラーの双子ラクシュマナとシャトルグナです。若いラーマは聖仙ヴィシュヴァーミトラに同行し、悪魔から祭式を守ります。ヴィデーハのジャナカ王の宮廷では、ほかの誰にも持ち上げられなかったシヴァ神の強大な弓を曲げて折り、ジャナカの娘シーターと結婚します。シーターは赤ん坊のとき、地面の畝の中で見つかった娘でした。
第2巻「アヨーディヤー・カーンダ」(アヨーディヤー):ダシャラタはラーマを王位継承者にしようと決めます。しかし妃カイケーイーは侍女マンタラーにそそのかされ、かつて王が約束した二つの願いを思い出させます。彼女は息子バラタの即位と、ラーマの14年間の森への追放を求めます。約束を破れない王は承諾し、まもなく悲しみのうちに亡くなります。ラーマは静かにシーターとラクシュマナを連れて旅立ちます。バラタは王位を拒み、ラーマの履物を玉座に置き、その帰還まで代理として国を治めます。
第3巻「アラニヤ・カーンダ」(森):森で羅刹女シュールパナカーはラーマとラクシュマナを誘惑しようとしますが、ラクシュマナに身体を傷つけられます。彼女の兄であるランカーの十の頭を持つ王ラーヴァナは復讐を図ります。配下のマーリーチャが金色の鹿に変身し、ラーマがそれを追い、ラクシュマナも後を追っている間に、ラーヴァナはシーターを連れ去ります。老いたハゲワシのジャターユはラーヴァナと戦って致命傷を負いますが、一部始終をラーマに伝えるまで生き延びます。
第4巻「キシュキンダー・カーンダ」(キシュキンダー):ラーマは追放された猿の一族(ヴァナラ)の王子スグリーヴァと同盟を結びます。兄ヴァーリンを倒してキシュキンダーの王位を取り戻すのを助けると、スグリーヴァは各地へ捜索隊を送ります。第5巻「スンダラ・カーンダ」(「美しい」巻)はハヌマーンの活躍を描きます。海を跳び越えたハヌマーンは、ラーヴァナのアショーカ樹の林でシーターを見つけ、ラーマの指輪を渡します。そして、燃える尾でランカーに火を放ってから帰還します。
第6巻「ユッダ・カーンダ」(戦争):猿の軍は海を渡ってランカーに至る土手道を築きます。ラーヴァナの息子インドラジットや巨人の弟クンバカルナらとの度重なる戦いの末、ラーマはラーヴァナを討ちます。ラーマの側についたラーヴァナの弟ヴィビーシャナがランカーの王になります。ラーマは初め、シーターを受け入れることを拒みます。シーターは火の中に入って潔白を証明し、火の神によって無傷で戻されます。二人はアヨーディヤーに帰り、ラーマが即位します。第7巻「ウッタラ・カーンダ」(最終巻)では、その後が語られます。民がラーヴァナの家で過ごしたシーターのことを噂したため、ラーマは妊娠中の彼女を追放します。シーターはヴァールミーキの庵で双子のラヴァとクシャを産みます。数年後、二人の少年はラーマの宮廷で『ラーマーヤナ』を詠唱します。呼び戻されたシーターは、再び試練を受ける代わりに、母である大地に自分を迎え入れるよう願います。すると地面が開き、シーターを受け入れます。
やさしい
ヴァールミーキと詩の誕生
ヴァールミーキの史実としての生涯は、ほとんど分かっていません。叙事詩には彼自身が登場します。シーターと息子たちを庵に迎え入れ、ラヴァとクシャに詩を教える聖仙です。初期の本文にはない後世の伝説によれば、かつて盗賊だった彼は聖者たちによって信仰の道に導かれ、長い瞑想の間に体の周りに蟻塚(ヴァルミーカ)ができたといいます。これが名前の由来とされています。
「バーラ・カーンダ」には、この詩の始まりについて有名な話があります。ヴァールミーキは、つがいのクロウンチャ鳥の一羽を猟師が射るのを見ました。残された鳥の鳴き声に心を動かされ、呪いの言葉を口にすると、驚いたことに、それは整った韻律になっていました。そこでブラフマー神は、この新しい韻律であるシュローカを使ってラーマの物語を語るよう命じます。この伝説では、詩(シュローカ)が悲しみ(ショーカ)から生まれます。この語呂合わせは後世のサンスクリット文学の批評家たちに好まれました。
現代の研究者は、ヴァールミーキを生涯の年代を特定できる一人の作者というより、ある伝統に結び付いた名前として扱います。この詩は、おそらく幾世代もの語り手が声に出して伝える中で形を整え、後に比較的安定した本文が書き記されました。ほかの言語による再話の多くも、物語を大きく変えながら、最初の語り手としてヴァールミーキの名を受け継いでいます。
中級
ダルマ、王権、理想の家族
『ラーマーヤナ』の中心にある考えはダルマです。義務や正しさ、そして社会と宇宙を支える秩序を指します。ラーマは、王国を失っても父の約束を守る理想の人間として描かれます。後世の伝統では「マリヤーダー・プルショーッタマ」とも呼ばれます。バラタが王位を拒むこと、ラクシュマナの献身、シーターの貞節も、兄弟同士、妻と夫、臣民と王の関係におけるダルマを示します。
この詩は王権について考える作品でもあります。ラーマが治めるアヨーディヤーは理想の王国の手本となり、「ラーマ・ラージャ」(ラーマの統治)は正義と繁栄に満ちた黄金時代を意味するようになりました。近代には、マハトマ・ガンディーが、公正で自治を行うインドという理想を「ラーム・ラージャ」と呼びました。一方、追放を描く巻は宮廷政治の危うさを示し、一つの約束をめぐって王家は崩壊寸前に陥ります。
この叙事詩の道徳的な問題は単純ではありません。ラーマが隠れてヴァーリンを殺したこと、シュールパナカーが傷つけられたこと、シーターの火の試練、そして何より「ウッタラ・カーンダ」でのシーターの追放について、読者は二千年にわたって議論してきました。8世紀のサンスクリット劇作家バヴァブーティは、結末を書き換えてラーマとシーターを再会させる戯曲『ウッタララーマチャリタ』を書きました。古典期の作者も元の結末に心を痛めていたことが分かります。
信愛(バクティ)も、特に後世の版で重要な主題です。ハヌマーンはラーマへの無私の信愛を体現します。多くの地方版『ラーマーヤナ』では、物語を聞く主な目的は、神としてのラーマを愛する心を育てることです。一方、ラーヴァナも単なる怪物ではありません。学識ある王でシヴァ神の信者ですが、欲望と高慢によって滅びます。後世の伝統には、ラーマの手で死ぬことによって解脱に至ったとみなすものもあります。
中級
歴史的・地理的背景
『ラーマーヤナ』の世界には、ガンジス川中流域のコーサラ国(都はアヨーディヤー)やヴィデーハ国(都はミティラー)などの王国が登場します。これらは後期ヴェーダ文献や初期仏教文献にも現れます。詩の中で修行者、羅刹(ラークシャサ)、猿、熊が住む南方の森には、北インドの人々が、あまり知らない中部・南部インドをどう想像していたかが映し出されています。
多くの歴史家は、この物語に、紀元前1千年紀に定住したバラモン教的社会が森林地帯へ広がったことの反映を見ます。一方、実際の移住や争いを暗号のように記した歴史として叙事詩を読むことには、慎重であるべきだという研究者もいます。猿や羅刹は文学的・宗教的な存在であり、特定の人々と同一視することが偏見の正当化に使われたこともあるためです。
物語の出来事を裏付ける考古学的証拠はなく、ラーマの背後に実在の王がいたかどうかについても研究者の意見は一致していません。ランカーの場所にも議論があります。伝統の多くはスリランカとみなしますが、初期の本文の地理描写はインド中部の場所を指すと論じる研究者もいます。現在のウッタル・プラデーシュ州にあるアヨーディヤーは、何世紀にもわたってラーマの都とされてきました。さらに古い都市サーケータも、同じ場所かその近くにあったと考えられることが多くあります。
中級
インド各地の多様な『ラーマーヤナ』
ヴァールミーキの詩だけが『ラーマーヤナ』ではありません。『マハーバーラタ』にも「ラーモーパーキャーナ」という短い版があります。仏教徒が伝えた『ダシャラタ・ジャータカ』では、ラーマは仏陀の前世であり、ラーヴァナによる誘拐は起こりません。ジャイナ教徒も、ヴィマラスーリのプラークリット語作品『パウマチャリヤ』などで物語を語りました。そこではラーマはジャイナ教の英雄で、ラーヴァナを殺すのはラーマではなくラクシュマナです。
中世以降、各地の言語で優れた詩人たちが物語を語り直しました。カンバンのタミル語作品『イラーマーヴァターラム』(一般に12世紀の作とされる)は、タミル文学の傑作です。クリッティヴァースはベンガル語版、エルットゥッチャンはマラヤーラム語版を書き、トゥルシーダースはアワディー語の『ラームチャリトマーナス』を著しました。作品自身の記述によれば、執筆開始は1574年です。この作品は北インドで最も広く朗唱される『ラーマーヤナ』となりました。何夜にもわたって上演される劇「ラームリーラー」は、ユネスコの無形文化遺産に認められています。
これらの版には重要な違いがあります。例えばトゥルシーダースの版では、誘拐の前に本物のシーターは火の中に隠され、連れ去られたのは幻のシーターです。そのため女神であるシーターにラーヴァナが触れることはありません。民謡や女性たちの歌には、シーターの視点から物語を語るものも多くあります。研究者A・K・ラーマーヌジャンは、有名な論考「三百のラーマーヤナ」で、唯一の原型となる物語ではなく、語りの巨大な一群があると論じました。この論考は2011年にデリー大学の授業で扱う作品から外され、論争を呼びました。
中級
東南アジアの『ラーマーヤナ』
『ラーマーヤナ』は紀元後1千年紀に、商人、聖職者、宮廷文化とともに東南アジアへ伝わりました。ジャワでは、通常9世紀の作とされる古ジャワ語の『カカウィン・ラーマーヤナ』がジャワ文学の初期の作品の一つです。また、9世紀のヒンドゥー教寺院群プランバナンには、物語の場面が彫られています。カンボジアのアンコール・ワットでは、12世紀の浮き彫りがランカーでの戦いを描いています。
各地はこの物語を独自のものにしました。カンボジアには『リアムケー』、ラオスには『プララック・プララム』、ミャンマーには『ヤマ・ザッダウ』、マレーシアにはイスラム教徒の社会で語り直された『ヒカヤット・スリ・ラマ』があります。タイでは、18世紀末にラーマ1世のもとで作られた版が最もよく知られる『ラーマキエン』が、国民的叙事詩となりました。バンコクのエメラルド仏寺院の回廊にはその場面が描かれ、チャクリー王朝の王たちは英語でラーマ1世、ラーマ2世などと呼ばれます。
東南アジアの多くの地域で、『ラーマーヤナ』は何よりも上演を通じて生き続けています。インドネシアとマレーシアのワヤン・クリ、タイのナン・ヤイなどの影絵芝居、仮面舞踊のコーン、宮廷や寺院の舞踊があります。ハヌマーンはサンスクリット語の作品よりも、おどけた恋多き英雄になることが多く、地元ならではの登場人物や冗談も加わります。これらの伝統は、この叙事詩がインドだけでなくアジアに共有される遺産であることを示しています。
中級
現代の『ラーマーヤナ』
『ラーマーヤナ』は今も日々の暮らしの中に息づいています。ダシェラー祭(ヴィジャヤダシャミー)では、しばしば巨大な人形を燃やしてラーマのラーヴァナに対する勝利を祝います。光の祭りディーワーリーは、北インドではラーマのアヨーディヤー帰還と結び付いています。子ども向けの漫画、映画、アニメシリーズも物語を語り直しています。また、「ラクシュマン・レーカー」(ラクシュマナの線、越えてはならない境界)という表現は、インドの日常のヒンディー語や英語にも定着しています。
1987~88年には、ラーマーナンド・サーガルが監督したテレビドラマ『ラーマーヤナ』が、インドの国営放送ドゥールダルシャンで放送され、非常に多くの視聴者を集めました。放送中は街路から人影が消えたとも伝えられています。このドラマが、全国でより共通したラーマ像を形づくるのに役立ったと論じる研究者もいます。
この叙事詩は現代政治にも関わるようになりました。アヨーディヤーのモスク、バーブリー・マスジドがラーマの生誕地に建てられていたという主張は、長い紛争の中心となりました。モスクは1992年に活動家たちによって破壊され、その後、死者を伴う暴動が起きました。2019年、インド最高裁判所はその土地を寺院用地とし、モスクには別の土地を割り当てました。2024年1月には寺院の開眼式が行われました。多くのヒンドゥー教徒は寺院を宗教的願いの実現とみなす一方、多くのイスラム教徒や世俗主義の立場の批評家は、一連の出来事がインドの多元的社会を傷つけたと考えています。どちらの見方も『ラーマーヤナ』の現代史の一部です。
作家たちは批判的な視点からも叙事詩を語り直してきました。例えば20世紀のダリット運動やドラヴィダ運動は、南方の人々を悪魔として描くことに異議を唱えました。フェミニストの作家たちは、シーター、シュールパナカー、あるいはアヨーディヤーに残されたラクシュマナの妻ウールミラーの視点から物語を語り直しています。
上級
成立年代と本文の発展
『ラーマーヤナ』の成立年代について、研究者の推定には大きな幅があります。プリンストン大学の翻訳版で総編集者を務めたロバート・P・ゴールドマンは、口頭で伝えられた中心部分をおよそ紀元前8~6世紀と考えました。叙事詩がガンジス川流域の小王国の政治世界を反映し、マガダ国やパータリプトラの台頭には触れていないことなどが理由です。ジョン・ブロッキントンは言語と文体を分析し、いくつかの段階を区別しました。詩の主要部分は紀元前5~4世紀ごろから形を取り、追加は紀元後の数世紀まで続いたとしています。一般的には、紀元前4世紀ごろまでに中心部分が、紀元3世紀ごろまでに全体が成立したとまとめられます。
1890年代のヘルマン・ヤコービの研究以来、研究者の多くは第2~6巻を最古の中心部分、第1巻と第7巻を後から加わった部分と考えてきました。根拠には言語や文体の違いがあります。また、ラーマをヴィシュヌ神の化身として描く箇所は主に最初と最後の巻にあり、中心部分では英雄的な人間の王子として描かれること、要約や目次の内容が現存する本文全体と一致しないことも挙げられます。ただし、成立の経緯がどうであれ、叙事詩全体を意味のある一つの文学作品として読むべきだと主張する研究者もいます。
この作品は口頭で伝えられた後、傷みやすい素材に書かれた写本で伝わったため、年代の特定は難しくなっています。現存する写本は作品の成立よりはるかに新しく、最古のものでも約千年前のネパールの写本です。ヴァールミーキの叙事詩と『マハーバーラタ』の「ラーモーパーキャーナ」、さらに両者と仏教の『ダシャラタ・ジャータカ』との関係にも議論があり、どれにより古い内容が残っているかについて意見は一致していません。
上級
写本、伝本系統、校訂版
ヴァールミーキの『ラーマーヤナ』の写本には、北方系と南方系という二つの主な伝本系統があります。北方系はさらに北西系と北東系に分けられることが多くあります。物語の大部分は共通していますが、詩節のおよそ3分の1に違いがあり、言い回しや多くの挿話の順序・有無も異なります。よく知られた一節でも、一部の系統にしか見られないものがあります。
1960年ごろから1975年にかけて、バローダのマハーラージャ・サヤージーラーオ大学東洋研究所は、校訂版を刊行しました。インド各地の多数の写本を比較し、復元できる最古の本文を再構成したものです。伝統の一部にしか見られない文章は、脚注や付録に移されました。ロバート・P・ゴールドマンとサリー・J・サザーランド・ゴールドマンらによるプリンストン大学出版局の翻訳は、2010年代に完成しました。この校訂版に基づき、異なる読みや注釈について詳しい説明を付けています。
校訂版は非常に大きな影響を与えましたが、批判も受けています。常に複数の形で上演されてきた口承叙事詩には、単一の祖本という考えは適さず、「原典」があるかのような誤解を招くという研究者がいます。一方、伝統の発展を見るために利用できる最良の道具だと擁護する研究者もいます。中世のゴーヴィンダラージャらによる伝統的なサンスクリット語の注釈は、インドの学識ある読者が、しばしば信愛を重視する神学に照らして難しい箇所をどう解釈したかを示しています。
上級
解釈をめぐる議論:ジェンダー、カースト、権力
現代の『ラーマーヤナ』研究で最も議論されるのは、シーターの扱いです。彼女を妻としての献身と強さの模範と読む人もいれば、火の試練や追放に、女性の身体を支配する家父長制の表れを見る人もいます。また研究者たちは、シーターが最後に再び自分の潔白を証明することを拒み、大地へ帰る場面を、作品の中にある尊厳と抗議の行為として読めることも強調しています。
「ウッタラ・カーンダ」には、シュードラ(伝統的な四つのヴァルナのうち最下位に属する人)のシャンブーカが苦行を行い、ラーマに殺される挿話があります。物語では、その苦行は上位のカーストに限られていました。この挿話は、B・R・アンベードカルやE・V・ラーマサーミ(ペリヤール)など、カースト差別に反対する思想家から批判されました。一方、伝統を擁護する人々は、挿話が後から加わった部分に属すると指摘したり、寓意として解釈したりしてきました。この論争は、叙事詩に権威があるからこそ、その難しい箇所が政治的な意味を持つことを示します。
シェルドン・ポロックらによる別の研究は、『ラーマーヤナ』が神聖な王権の観念をどう形づくり、悪魔的な「他者」と戦う正しい王というイメージが、さまざまな時代の支配者にどう使われたかを問います。一方、人類学者や民俗学者は、ポーラ・リッチマン編『Many Rāmāyaṇas』(1991年)の論考のように、語りの多様さや、一般の演者が物語をどう作り変えるかを重視してきました。これらの研究はともに、『ラーマーヤナ』を固定された一冊の本ではなく、それぞれの共同体が自分たちの関心を通して読む、生きた伝統として捉えています。
重要なポイント
- ダルマ
- 義務と正しさ。ラーマは王位を失っても父の言葉を守り、主要な登場人物は皆、ダルマが何を求めるかを試されます。
- アーディカーヴィヤ
- 「最初の詩」。『ラーマーヤナ』は技巧を凝らした最初のサンスクリット語の詩とされ、ヴァールミーキと鳥の伝説は詩を思いやりや悲しみと結び付けます。
- 理想の王権(ラーム・ラージャ)
- ラーマの治世は公正な統治の手本となり、後世の王やガンディーを含む近代の指導者が引き合いに出しました。
- 信愛(バクティ)
- 特に後世の版では、物語を通じて神としてのラーマを愛します。ハヌマーンは信者の模範です。
- 多様な『ラーマーヤナ』
- 南アジアと東南アジアには、異なる言語、宗教、芸術の形で伝わる何百もの版があります。
- 成立の諸段階
- 叙事詩は数世紀をかけて発展しました。研究者の多くは第2~6巻を中心部分、第1巻と第7巻を後から加わった部分と考えています。
- 議論を呼ぶ倫理的問題
- シーターの火の試練と追放、ヴァーリンの殺害、シャンブーカの死などの挿話は、何世紀にもわたって議論を呼んできました。
記録
- 紀元前600年頃 — 物語の背景となるコーサラやヴィデーハなど、ガンジス川流域の王国があったおよその時期。ラーマについての口頭の語りがすでに始まっていた可能性もある(年代には議論がある)。
- 紀元前400年頃 — ヴァールミーキの『ラーマーヤナ』の中心部分(第2~6巻)は、このころまでに形を取ったと考えられている。
- 200年頃 — 第1巻と第7巻の多くを含む後から加わった部分は、紀元2~3世紀ごろまでに成立したと考えられている。
- 700年頃 — バヴァブーティが物語の結末を書き換えたサンスクリット戯曲『ウッタララーマチャリタ』を書く。
- 850年頃 — ジャワのプランバナンに『ラーマーヤナ』の浮き彫りが刻まれる。古ジャワ語の『カカウィン・ラーマーヤナ』もこのころ成立する。
- 1150年頃 — カンバンがタミル語の『イラーマーヴァターラム』を書く(年代には議論がある)。
- 1574年 — 作品自身の記述によれば、トゥルシーダースがアワディー語の『ラームチャリトマーナス』を書き始める。
- 1797年頃 — タイの『ラーマキエン』がラーマ1世のもとで編纂される。
- 1960年頃 — バローダでヴァールミーキの『ラーマーヤナ』の校訂版の刊行が始まる(1975年ごろ完成)。
- 1987年 — ラーマーナンド・サーガルのテレビドラマ『ラーマーヤナ』がドゥールダルシャンで放送を開始する。
- 1992年 — アヨーディヤーのバーブリー・マスジドが破壊され、死者を伴う暴力と長い法廷闘争につながる。
- 2024年 — 2019年の最高裁判決を経て、アヨーディヤーのラーマ寺院で開眼式が行われる。
用語集
- 叙事詩
- 英雄や重大な出来事を語る長い物語詩。
- サンスクリット語
- 古代インドの古典語。宗教、文学、学問の文献に使われた。
- シュローカ
- 32音節からなる二行の詩形。『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』の主な韻律。
- カーンダ
- 『ラーマーヤナ』の巻、または大きな区分。全部で七巻ある。
- アヴァターラ
- 神が特定の姿で地上に現れること。ラーマはヴィシュヌ神のアヴァターラとされる。
- ラークシャサ
- インド神話に登場する悪魔や鬼。ラーヴァナはラークシャサの王。
- ヴァナラ
- ハヌマーンやスグリーヴァを含む、叙事詩に登場する猿の一族。
- 伝本系統
- ある本文の特定の版を共有する写本の一群。
- 校訂版
- 多数の写本を比較し、復元できる最古の本文を再構成した版。
- ラームリーラー
- 特に北インドでダシェラー祭のころに行われる、ラーマの物語の伝統的な劇。
よくある質問
『ラーマーヤナ』は実話ですか?
多くのヒンドゥー教徒は、ラーマを実在した神聖な人物と考えています。歴史家は物語の出来事を裏付ける考古学的証拠を見つけていません。多くは、実際の土地や社会の遠い記憶を含む可能性のある文学作品であり、神聖な伝統として扱っています。
ハヌマーンとは誰ですか?
ハヌマーンは風の神の息子である猿の英雄です。ランカーでシーターを見つけ、ラーマが戦争に勝つのを助けます。力と信愛の象徴として崇拝されています。
『ラーマーヤナ』はどのくらい長いのですか?
ヴァールミーキの『ラーマーヤナ』には約2万4000の詩節があり、『イリアス』と『オデュッセイア』を合わせたものより少し長い作品です。後世の版には、もっと短いものも長いものもあります。
なぜラーマはシーターを追放したのですか?
最終巻では、ラーヴァナの宮殿で過ごした後のシーターの潔白を民が疑ったため、ラーマは彼女を追放します。この挿話は後から加わった部分にあり、何世紀にもわたって議論され、さまざまに語り直されてきました。
『ラーマーヤナ』のどの部分が最も古いのですか?
ヘルマン・ヤコービ以来、研究者の多くは第2~6巻が最古の中心部分で、第1巻(ラーマの少年期)と第7巻(その後の出来事とシーターの追放)は後から加わったと考えています。
「原典」と呼べる『ラーマーヤナ』は一つだけですか?
ヴァールミーキの作品は、現存する最古の完全な版ですが、いくつかの写本系統があります。物語は仏教徒、ジャイナ教徒、各地の詩人によっても独自に語られました。A・K・ラーマーヌジャンらの研究者は、この多様性を強調しています。
なぜタイの王はラーマという名を使うのですか?
チャクリー王朝は、タイ版『ラーマーヤナ』である『ラーマキエン』の英雄と深く結び付いています。20世紀初め、ワチラウット王が王朝の王をラーマ1世、ラーマ2世などと呼ぶ習慣を導入し、その呼び方が定着しました。
出典・参考文献
- Ramayana. Wikipedia
- Valmiki. Wikipedia
- Ramakien. Wikipedia
- Ramcharitmanas. Wikipedia
- 라마야나. Wikipedia (Korean)
- Robert P. Goldman, Sally J. Sutherland Goldman et al. (trans.), The Rāmāyaṇa of Vālmīki: An Epic of Ancient India (7 vols.). Princeton University Press, 1984–2017
- John Brockington, The Sanskrit Epics. Brill, 1998
- Paula Richman (ed.), Many Rāmāyaṇas: The Diversity of a Narrative Tradition in South Asia. University of California Press, 1991
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上記の公開資料をもとにAIの支援を受けて執筆し、新たな研究に応じて改訂しています。
