文学

マハーバーラタ

महाभारत (Mahābhārata)

紀元前400年 – 399年頃 · クルクシェートラ(伝承上)

ひとことで

マハーバーラタは、王国をめぐって恐ろしい戦争をする二組のいとこと、難しいときにどうすれば正しい行いができるかを描いた、インドの長大な古い物語です。

マハーバーラタ
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最初はやさしい入門です。下に進むほど詳しい説明や研究内容を読めます。

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子ども向け

『イリアス』と『オデュッセイア』を合わせたものより、約10倍も長い物語を想像してみてください。それが、世界でも特に長い詩の一つ、マハーバーラタです。インドでは、2000年以上にわたって語り継がれてきました。

物語には、いとこ同士の二つのグループが出てきます。パーンダヴァ家の5人兄弟は勇敢で、それぞれ得意なことがあります。正直な兄、ものすごく力の強い弟、弓の名人もいます。100人いるカウラヴァ家のいとこたちは、彼らをねたみ、王国を全部自分たちのものにしたがります。

カウラヴァ家はさいころ遊びでパーンダヴァ家をだまします。5人兄弟は家を離れ、13年間、森などで暮らさなければなりません。戻って自分たちの土地を返してほしいと言っても、いとこたちは断ります。こうしてクルクシェートラという平原で大きな戦争が始まり、18日間続きます。

戦いの直前、弓の名人アルジュナはとても悲しくなります。自分の家族や先生と戦いたくないからです。友人であり、実は神でもあるクリシュナが、務めや勇気、人生で本当に大切なことを話します。この会話は『バガヴァッド・ギーター』と呼ばれ、今も多くの人が読んでいます。

マハーバーラタは、みんなが幸せになる単純な結末ではありません。勝った人たちも、失ったものを思って悲しみます。この物語は、公平さや友情、よい選び方について大切な問いを投げかけるので、今も人々を考えさせています。

ひと目でわかる

成立時期
紀元前400年ごろ~紀元後400年ごろ(主に紀元前200年ごろ~紀元後200年ごろ)。正確な年代には議論がある
地域
南アジア北部。物語の舞台はガンジス川・ヤムナー川流域とクルクシェートラ平原(インド、ハリヤーナー州)周辺
言語
サンスクリット語(叙事詩のサンスクリット語で、主にシュローカ韻律)
形式
18巻(パルヴァン)からなる叙事詩(イティハーサ)。補編に『ハリヴァンシャ』がある
長さ
伝統的には「10万詩節」。プネー批判校訂版には、散文を一部含めて数えた約8万9000の詩節単位が収録されている
伝承上の作者
伝統では聖仙ヴィヤーサ(クリシュナ・ドヴァイパーヤナ)。研究者は、何世代にもわたる作者や編集者が関わったと考える
有名な部分
『バガヴァッド・ギーター』(批判校訂版の第6巻、第23~40章)
重要性
ヒンドゥー教の諸伝統を支える基本文献であり、南アジアと東南アジアに広がる共通の物語世界

やさしい

マハーバーラタとは何か

マハーバーラタ(サンスクリット語でMahābhārata。しばしば「バラタの子孫たちの偉大な物語」と説明される)は、古代インドの古典語であるサンスクリット語で作られた叙事詩である。クル族という王家が対立する二つの家系に分かれ、壊滅的な戦争によって自ら滅んでいくさまを語る。中心となる物語の周囲には、数百もの説話、説教、法と倫理をめぐる対話、系譜、聖地の描写が集められている。

インドの伝統では、これをイティハーサに分類する。この語は通常「歴史」または「このようにあったこと」と訳され、現在を生きるための指針にもなる過去の物語を指す。この叙事詩には、「ここにあるものはほかにもありうるが、ここにないものはどこにもない」という趣旨の言葉がある。人間の経験の全体を収めようとする、その壮大な志を表している。

伝統的には10万詩節からなるとされ、ギリシアの『イリアス』と『オデュッセイア』を合わせたものより数倍長い。詩節の大半はシュローカという柔軟な韻律で、各16音節の2行からなる。最もよく知られる部分『バガヴァッド・ギーター』(「神の歌」)は約700詩節の対話であり、世界で最も影響力のある宗教・哲学文献の一つとなった。

[1]

やさしい

物語:いとこたち、さいころ賭博、18日間の戦争

クル族の王パーンドゥと、目の見えない兄ドリタラーシュトラには、それぞれ異なる家族がある。パーンドゥの5人の息子、パーンダヴァ家の兄弟は、妻クンティーとマードリーを通じて神々を父として生まれた。正義を重んじるユディシュティラ、怪力のビーマ、弓の名手アルジュナ、双子のナクラとサハデーヴァである。ドリタラーシュトラと妻ガーンダーリーには、ドゥルヨーダナを筆頭とする100人の息子、カウラヴァ家の兄弟がいる。結婚も王位継承もしないと誓った大叔父ビーシュマと、師ドローナは、一族の結束を保とうとする。

対抗心は憎しみへと変わる。ドゥルヨーダナは漆でできた家に火をつけ、パーンダヴァ家の兄弟を焼き殺そうとするが、彼らは逃れる。その後、アルジュナは弓の競技で王女ドラウパディーを勝ち取り、彼女は5人全員の妻となる。兄弟は壮麗な都インドラプラスタを築く。ところが、ドゥルヨーダナの叔父シャクニがユディシュティラを不正なさいころ賭博に誘う。ユディシュティラは財産、王国、兄弟、自分自身、最後にはドラウパディーまで賭けて失う。ドラウパディーは集会場に引きずり出され、辱められる。すでに自分自身を失った男に、なお妻を賭ける権利があったのか。彼女の問いに、その場の長老たちは答えを出せない。

パーンダヴァ家の兄弟は12年間を森で、13年目を正体を隠して過ごすよう命じられる。帰還後も、ドゥルヨーダナは五つの村さえ返そうとしない。ヤーダヴァ族の王子で神でもあるクリシュナは和平交渉を試みるが、失敗する。両軍はクルクシェートラ平原で対峙し、18日間の戦いで、その時代の戦士のほとんどが命を落とす。ビーシュマは矢を浴びて倒れる。ドローナは、息子の死に関する半ば真実の言葉にだまされて武器を置く。ひそかにパーンダヴァ家の兄弟の異父兄であったカルナは、戦車の車輪が泥にはまったときに死ぬ。ドゥルヨーダナは、公正な戦闘の規則に反して太ももを打たれる。

勝利には苦しみが伴う。最後の夜、ドローナの息子アシュヴァッターマンが、眠っているパーンダヴァ軍の陣営で人々を虐殺する。ユディシュティラは王になるが、悲しみに打ちひしがれる。死を前にしたビーシュマは、王の務め、法、解脱について長く教えを説く。数十年後、クリシュナ自身の一族も滅び、パーンダヴァ家の兄弟は最後の旅としてヒマラヤへ向かう。忠実な犬を連れて生きたまま天界に達するのはユディシュティラだけだが、そこでも最後の試練が待っている。

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やさしい

叙事詩の構成:18巻と物語の中の物語

詩は18のパルヴァン(巻)に分かれる。『アーディ』(初め)、『サバー』(集会場)、『アーラニヤカ』または『ヴァナ』(森)、『ヴィラータ』、『ウディヨーガ』(準備)、『ビーシュマ』、『ドローナ』、『カルナ』、『シャリヤ』、『サウプティカ』(夜襲)、『ストリー』(女性)、『シャーンティ』(平和)、『アヌシャーサナ』(教え)、『アーシュヴァメーディカ』(馬祀祭)、『アーシュラマヴァーシカ』(隠棲)、『マウサラ』(棍棒)、『マハープラスターニカ』(大いなる旅立ち)、『スヴァルガーローハナ』(昇天)である。長い補編『ハリヴァンシャ』はクリシュナの生涯を語る。

この叙事詩は、物語の中に別の物語を収める枠物語でもある。語り手ウグラシュラヴァスがナイミシャの森で聖仙たちに語るのは、ヴィヤーサの弟子ヴァイシャンパーヤナが、アルジュナの曾孫ジャナメージャヤ王の蛇供犠で語った内容である。中心となる物語の中でも登場人物が絶えず互いに物語を聞かせるため、読者はいくつもの語りの層を行き来する。

挿入された説話の多くは、それ自体で有名である。さいころ賭博ですべてを失った夫と離れ離れになるダマヤンティーとナラの恋、知恵によって死神ヤマから夫の命を取り戻すサーヴィトリー、後に詩人カーリダーサが再話したシャクンタラーの物語、そしてラーマ物語の短い版などがある。ユディシュティラが精霊から人生についての問いに答えて兄弟を救う謎かけ「ヤクシャの問い」も、今なお広く引用される。

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中級

歴史的背景:クル族の首長国からグプタ朝の時代まで

叙事詩が描く世界は、現代のデリーやハリヤーナー州周辺、ガンジス川・ヤムナー川上流域にあったクル族の国にさかのぼる。これは後期ヴェーダ時代(おおむね紀元前2千年紀末から紀元前1千年紀初め)の有力な政治勢力だった。ヴェーダ文献にはクル族とパリクシット王が登場し、叙事詩ではパリクシットはアルジュナの孫とされる。物語の背景に実際の戦争があったかは不明である。伝統は戦争をカリ・ユガの始まりである紀元前3102年に置くが、この年代は後世の天文学的計算によるもので、歴史的証拠に基づくものではない。

現存する形の本文が成立したのは、ずっと後の紀元前400年ごろから紀元後400年ごろにかけてである。この時期には、ガンジス川流域で都市や王国が発展し、仏教とジャイナ教が広がった。マウリヤ朝(紀元前320年ごろ~前185年ごろ)とアショーカ王の勅令、北西部でのインド・ギリシア人、シャカ人、クシャーナ人の侵入や諸王国の成立を経て、グプタ朝(紀元後320年ごろから)が現れた。バラモン(祭司)の集団は、出家を重んじる諸運動や新しい王権の形に応じて、自らの伝統を組み直していた。

そのため多くの研究者は、この叙事詩を古い時代の記憶であると同時に、成立当時への応答として読む。ダルマ、すなわち義務、法、正しい秩序をめぐる長い議論、王の正しい振る舞い、世俗での行為と世俗からの解脱との関係は、仏教などの思想に対するバラモン教の応答であり、大帝国の時代の後に正しい王権を思い描く試みとも解釈できる。その世界は孤立していなかった。同じ時代に、ギリシアの著述家ディオン・クリュソストモス(紀元後40年ごろ~120年ごろ)は、インド人がホメロスに似た詩を歌うと報告しており、叙事詩の朗誦を伝える早い例かもしれない。

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中級

中心的な思想:ダルマ、運命、正しい行いの「微妙さ」

マハーバーラタの中心問題はダルマである。この語は義務、法、徳、世界の秩序を意味する。叙事詩は、ダルマは「微妙」(スークシュマ)だと繰り返し強調する。善良な人でも、どの選択をしても何らかの義務に反する状況に直面する。「ダルマの子」と呼ばれるユディシュティラは正直でありながら、賭博で家族を失う。カルナは忠実で寛大だが、誤った側について戦う。ビーシュマは誓いを守るが、そのために不正を見過ごす。詩は読者に、ただ登場人物をたたえるのでなく、議論するよう促す。

これと関わる主題に、人間の努力と運命や時(ダイヴァ、カーラ)の緊張関係がある。登場人物はしばしば、出来事は定められていたと告げられる。それでも自らの選択に責任を負う。戦争そのものは一つの時代の終わりとして描かれ、勝利後の叙事詩を包むのは歓喜よりも悲嘆と疲弊である。インドの文芸理論家アーナンダヴァルダナ(9世紀)は、この叙事詩を支配する美的情調(ラサ)はシャーンタ、すなわち平安や静けさだと論じた。それは世俗の野心を見通した先に訪れる静けさである。

女性たちの声はひときわ力強い。集会場でのドラウパディーの公然たる問い、息子たちの死後にガーンダーリーがクリシュナにかける呪い、クンティーの苦しい選択は筋を動かし、権力、名誉、苦しみをめぐる問いを開く。多くの現代の読者や作家が、これらの問いに取り組んできた。叙事詩はまた、社会的序列の犠牲も示す。部族出身の弓の名手エーカラヴィヤは、アルジュナに匹敵できないよう親指を切り落とさせられる。この場面は今日、カーストによる特権への批判として読まれることが多い。

[1]

中級

『バガヴァッド・ギーター』:戦場のただ中で説かれる哲学

第6巻で両軍が戦闘態勢を整えたとき、アルジュナは御者のクリシュナに、両軍の間へ戦車を進めるよう頼む。敵方に親族や師を見て、アルジュナは弓を置く。クリシュナの答えである『バガヴァッド・ギーター』は18章にわたる(批判校訂版では第6巻第23~40章、古い刊本の一部では第25~42章)。そこでは、自己(アートマン)は永遠で殺されることがなく、人は自らの義務(スヴァダルマ)を果たすべきであり、行為の結果に執着せず行動すべきだと説かれる。

『ギーター』は、いくつかの道、すなわち修行法(ヨーガ)を結びつける。私欲なく行為するカルマ・ヨーガ、知識を修めるジュニャーナ・ヨーガ、神への愛を込めた帰依であるバクティ・ヨーガである。クリシュナは有名な第2章47節で、意訳すれば「あなたが心を向けるべきなのは行為だけであり、その結果ではない」と言う。第11章では、クリシュナはすべての存在を内に含み、戦士たちをのみ込む宇宙的な姿を現し、時と神的なものが出来事を通して働いていることをアルジュナに示す。

戦いを正当化しているように見えるため、『ギーター』はさまざまに読まれてきた。シャンカラ(8世紀ごろ)などの古典的注釈者は、自己と究極的実在の不二を説くものと読み、ラーマーヌジャ(11~12世紀)は人格神への帰依を強調した。近代には、バール・ガンガーダル・ティラクは社会に関わる行動への呼びかけと読み、モーハンダース・ガンディーは戦場を内面の闘いの寓意と読み、無私で非暴力的な行動の教えをくみ取った。今日の哲学者も、結果より義務や手続きを優先すべきかという、道徳的判断に関する文献として議論している。

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中級

口頭での上演から写本、刊本へ

叙事詩は初め、吟遊詩人(スータ)や朗誦者によって口頭で伝えられた。作中でも、常に誰かが別の誰かに語る上演として描かれる。いつの時点かについて研究者の意見は分かれるが、やがて書き留められ、その後はヤシの葉、カバノキの樹皮、さらに後には紙に手で写された写本として、カシミールからケーララまでさまざまな文字で流通した。伝統によれば、本文は『ジャヤ』(「勝利」、8800詩節)、『バーラタ』(2万4000詩節)、『マハーバーラタ』(10万詩節)の3段階で増大した。研究者はこれを記録に裏づけられた歴史ではなく伝統的な説明とみなすが、本文が拡大したという認識をよく表している。

同じ写本は二つとない。大まかには北方系と南方系という二つの異本系統に分かれ、それぞれに異なる文字で書かれた下位の系統がある。特に南方系の写本は長い傾向にある。ヴィヤーサの口述を神ガネーシャが書き取ったという有名な話は、一部の写本だけに見られる。そのため批判校訂版では、本文でなく注記に置かれている。

1919年から1966年にかけて、プネーのバンダルカル東洋学研究所は、V・S・スクタンカルを初代責任者として批判校訂版を作成した。編集者たちは1259点の写本を照合し、現存資料から復元できる最古の本文を再構成したうえで、異文や後世の追加を詳しく記した校訂注とともに全19巻を刊行した。これは現在、研究者の標準的な参照版である。ただし、あくまで再構成された本文であり、歴史上のどの共同体も、その形のまま読んだことはない。

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中級

アジア各地と現代世界への影響

マハーバーラタは、一冊の本という枠を超えた共通の物語世界となった。南アジアのほぼすべての言語で語り直されている。カンナダ語の詩人パンパは941年に『ヴィクラマールジュナ・ヴィジャヤ』を作った。テルグ語、タミル語、マラヤーラム語、ベンガル語、マラーティー語などにも版があり、タミル・ナードゥ州のテルックートゥ劇やケーララ州のカタカリ舞踊劇など、無数の民俗芸能や儀礼上演がある。インド各地の寺院や彫刻にはその場面が描かれ、南インドの一部ではドラウパディーが女神として崇拝される。

叙事詩は交易、宗教、宮廷を通じて広まった。ジャワでは、古ジャワ語のカカウィン『バーラタユッダ』(1157年)が戦争を語り直した。マハーバーラタの登場人物は、現在もインドネシアの影絵人形劇ワヤンの中心を占める。物語はバリ島、カンボジア、タイにも伝わった。ムガル帝国の宮廷では、アクバル帝がペルシア語訳『ラズムナーマ』(「戦争の書」)を命じた。1580年代にヒンドゥー教徒とイスラム教徒の学者が協力して制作し、豊富な挿絵が添えられた。

近代には、チャールズ・ウィルキンズによる1785年の英訳で『ギーター』がヨーロッパに伝わり、ドイツ・ロマン派からアメリカの超絶主義者まで影響を与えた。キサリ・モーハン・ガングリーは、初の全訳となる英語散文訳を1883年から1896年にかけて刊行した。B・R・チョープラーのヒンディー語テレビシリーズ(1988~1990年)はインドで膨大な視聴者を集め、ピーター・ブルックによる9時間の舞台化(1985年)は物語を国際的な演劇の場へ広めた。小説家、詩人、フェミニスト作家、ダリットの作家たちは、今もドラウパディー、カルナ、エーカラヴィヤらの視点から叙事詩を書き直している。

[1][7]

上級

学術上の論争:年代、作者、本文の形成

成立年代はおおよそにしか定められない。一般に紀元前4世紀ごろとされる文法学者パーニニは、ヴァースデーヴァ、アルジュナ、ユディシュティラといった名を知っていた。このことは英雄たちがすでに知られていたことを示すが、現在の形に近い叙事詩が存在した証拠にはならない。一方、紀元後533~534年の統治者シャルヴァナータの銅板による土地寄進記録は、マハーバーラタを「10万詩節の集成」と呼ぶ。したがって、そのころまでに大規模な本文が成立していた。大半の研究者は、主要な成立期を紀元前3世紀ごろから紀元後3世紀または4世紀ごろまでとみる。

本文がどのように発展したかが、中心的な論争である。E・W・ホプキンズら19世紀から20世紀初めのヨーロッパの研究者は「分析的」な方法をとった。教訓的・宗教的な層を取り除いて元の英雄的な戦争詩にたどり着こうとし、数世紀にわたる漸進的な増補を想定することが多かった。一方、1890年代のヨーゼフ・ダールマンに始まり、後のマドレーヌ・ビアルドーらは「総合的」な方法をとり、教えも構想の一部である、意図的に統合された作品として叙事詩を扱った。ジョルジュ・デュメジルは、その登場人物をインド・ヨーロッパ神話の構造から解釈した。

近年、アルフ・ヒルテバイテルは、サンスクリット語の叙事詩が比較的短い期間、彼の推定では紀元前2世紀半ばごろから紀元後への転換期ごろに、バラモンの著者集団によって書かれた作品だと主張した。ジェームズ・L・フィッツジェラルドらは、マウリヤ朝後の政治状況に応じて大規模な文書による改訂が行われ、その後さらに拡大したと提案している。これに対し、口承伝統の研究者は、上演と本文の伝承が数世紀にわたり影響し合い続けたことを重視する。これらの立場を完全に調和させることはできず、問題は未決着である。

ヴィヤーサに作者を帰することも解釈の問題である。物語の中で、ヴィヤーサは作者であると同時に、カウラヴァ家とパーンダヴァ家の兄弟の実の祖父でもある。つまり、詩は作者自身を筋の中に組み込んでいる。研究者は一般に、「編者」や「集成者」を意味しうる「ヴィヤーサ」という名を、長い共同制作の過程を代表する伝統上の人物とみる。一方、信仰を持つ多くの人々は、歴史上の聖仙と考える。

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上級

一次資料と証拠:写本、碑文、考古学

本文に関する証拠はほぼ写本に限られる。ヤシの葉やカバノキの樹皮は南アジアの気候では傷みやすいため、現存する写本の大半は数百年前のものにすぎないが、はるかに古い断片も少数ある。そのため、各地域で文章がどう異なるか、どの挿話が一部の伝統にだけ現れるかを見るには、批判校訂版の校訂注が主な手がかりとなる。注釈書、とりわけ広く用いられた伝統的な刊本の基礎となったニーラカンタ・チャトゥルダラ(17世紀)の注釈は、近代以前の読者が作品をどう理解したかを示す。

外部の証拠には、6世紀のシャルヴァナータの寄進記録のような碑文、ほかのサンスクリット語文献や仏教・ジャイナ教文献での言及、ペルシア語訳『ラズムナーマ』などの翻訳がある。南アジアや東南アジアの寺院にある叙事詩の場面を描いた彫刻は、特定の時代や場所でどの挿話が好まれたかを示す。

考古学は物語の舞台を明らかにする助けにはなるが、戦争を確認することはできない。1950年代、考古学者B・B・ラールはハスティナープラを発掘し、彩文灰色土器を伴う遺跡群(北インド平原の鉄器時代文化、紀元前1200~前600年ごろ)を、叙事詩に名のある場所と結びつけた。この解釈はインドで影響力を持ったが、論争もある。土器からは、数世紀後に作られた文献に記される人物や出来事を特定できないからである。同様に、叙事詩の天文学的な記述から戦争を正確に年代づけられるという主張も、大半の歴史家には受け入れられていない。該当する記述は互いに矛盾し、後世の挿入である可能性もある。

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上級

研究方法上の注意:生きた文献を読む

読者は、再構成された批判校訂版、ニーラカンタの伝統的な本文、サンスクリット語の地域ごとの異本、各地の言語による再話、口承と上演の伝統という、複数の「マハーバーラタ」を区別する必要がある。どれか一つが単純に「原典」なのではない。現代の議論の多くは、どの版を読むかに左右される。例えば批判校訂版では、ドラウパディーの衣を脱がせようとする場面で衣が奇跡的に増えるが、彼女がクリシュナに救いを求めるという広く知られた場面は大部分がなく、ガネーシャの挿話は本文にまったく含まれない。

同じ理由から、翻訳も注意して選ぶ必要がある。J・A・B・ファン・ビュイテネンは、シカゴ大学出版局のために批判校訂版の学術的な翻訳を始めた(第1~5巻、1973~1978年)。後にほかの研究者が引き継いだ。ガングリーの全訳は伝統的な本文に従う。短縮した再話は入門に適しているが、叙事詩の核心にある倫理的な曖昧さを平板にしてしまうことが多い。

最後に、マハーバーラタは何百万人もの人々にとって神聖で、今も生きている文献である。文章がいつ、どのように作られたかを問う歴史批判的研究と、その文章が何を教えるかを問う信仰に基づく読書は、目的の異なる営みである。優れた研究はどちらも退けずに記述でき、叙事詩の歴史をめぐる問いが現代の南アジアではしばしば政治的に繊細であることも認識する。

[8][4]

重要なポイント

ダルマ
義務、法、徳、宇宙の秩序。叙事詩は、現実の危機においてダルマが何を求めるかを知る難しさを示し、ダルマを「微妙」と呼ぶ。
イティハーサ
叙事詩の伝統的な分類。「このようにあったこと」を語り、人生、王の務め、究極の目標について教える物語。
カルマ・ヨーガ
行為の報いに執着せず、自らの義務に従って行動すべきだとする『ギーター』の教え。
バクティ
神への愛を込めた帰依。『ギーター』でクリシュナはアルジュナに自分へ身を委ねるよう勧める。この考えは後の信仰運動に影響した。
運命と時(ダイヴァ、カーラ)
人は自らの選択に責任を負いながらも、出来事は運命や時代の移り変わりによって動かされるという感覚。
枠物語
物語の中で別の物語を語る形式。この叙事詩は、別の朗誦者から聞いた話を一人の語り手が聴衆に語り、その内部で登場人物がさらに物語を語る。
シャーンタ・ラサ
平安や静けさを表す美的情調。文芸理論家アーナンダヴァルダナは、これを叙事詩の主な感情的効果と考えた。

記録

  1. 紀元前1200年頃 — ガンジス川・ヤムナー川上流域にクル族の政治勢力が現れる(紀元前1200~前900年ごろ)。後の伝統は叙事詩の舞台をここに置く。
  2. 紀元前400年頃 — 叙事詩の伝承の最古層が形成され始めたと考えられる(紀元前400年ごろ)。
  3. 紀元前350年頃 — 文法学者パーニニが、ヴァースデーヴァ、アルジュナ、ユディシュティラなどの名に言及する(紀元前4世紀ごろ)。
  4. 紀元前200年頃 — マウリヤ朝後の時代に、主要な成立と拡大が進む(紀元前200年ごろ~紀元後200年ごろ)。
  5. 350年頃 — グプタ朝初期までに、叙事詩はほぼ現在の規模に達する(紀元後4世紀ごろ)。
  6. 533年頃 — シャルヴァナータの銅板寄進記録がマハーバーラタを「10万詩節の集成」と呼ぶ(533~534年)。
  7. 941年 — パンパが、各地の言語による初期の再話の一つ、カンナダ語の『ヴィクラマールジュナ・ヴィジャヤ』を作る。
  8. 1157年 — 古ジャワ語のカカウィン『バーラタユッダ』が、ジャワで戦争の物語を語り直す。
  9. 1584年頃 — アクバルの宮廷で、ペルシア語訳『ラズムナーマ』が制作される(1584~1586年ごろ)。
  10. 1785年 — チャールズ・ウィルキンズが『バガヴァッド・ギーター』初の英訳を刊行する。
  11. 1919年 — プネーのバンダルカル東洋学研究所が批判校訂版の制作を始める(1966年完成)。
  12. 1988年 — B・R・チョープラーのテレビシリーズ『マハーバーラタ』がインドで放送を開始する(1988~1990年)。

用語集

サンスクリット語
古代・中世インドの古典語。宗教、文学、学問の文献に用いられた。
パルヴァン
叙事詩の「巻」、または大きな区分。マハーバーラタには18巻ある。
シュローカ
サンスクリット語の叙事詩で最も一般的な韻律。各16音節の2行からなる。
パーンダヴァ家の兄弟
パーンドゥ王の5人の息子、ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァ。
カウラヴァ家の兄弟
目の見えないドリタラーシュトラ王の100人の息子たち。ドゥルヨーダナが率いる。
異本系統
共通する特徴を持つ本文を伝える写本の一群。叙事詩の北方系と南方系など。
批判校訂版
多くの写本を比較して復元可能な最古の本文を再構成し、異文を注記に記録した版。
伝統的な本文
一般に用いられる伝統的な本文。マハーバーラタでは通常、17世紀のニーラカンタの注釈を伴う版を指す。
ハリヴァンシャ
「ハリ(クリシュナ)の系譜」を意味する、クリシュナの生涯と祖先を語る叙事詩の補編。
ワヤン
インドネシアの人形劇や影絵劇。マハーバーラタの物語がよく上演される。

よくある質問

マハーバーラタを書いたのは誰ですか。

伝統では聖仙ヴィヤーサが作ったとされ、ヴィヤーサは登場人物でもあります。歴史家は、紀元前400年ごろから紀元後400年ごろまでの数世紀にわたり、多くの詩人や学者が制作、増補、編集に関わったと考えています。

マハーバーラタは実話ですか。

叙事詩の舞台は、実在した古代クル王国の地域です。しかし、描かれた通りの戦争を裏づける独立した歴史的・考古学的証拠はありません。神聖な歴史と考える人は多く、研究者はクル族の過去について遠い記憶を残している可能性のある、文学的・宗教的作品として扱います。

マハーバーラタはどのくらい長いのですか。

伝統では10万詩節とされます。後世の追加を多く除いたプネー批判校訂版はそれより短いものの、なお世界最長級の詩であり、『イリアス』と『オデュッセイア』を合わせたものよりはるかに長いです。

マハーバーラタと『バガヴァッド・ギーター』はどう違いますか。

『バガヴァッド・ギーター』はマハーバーラタの一部です。第6巻にある、戦争直前のアルジュナとクリシュナの18章にわたる対話です。独立した聖典として刊行され、読まれることもよくあります。

マハーバーラタと『ラーマーヤナ』はどう違いますか。

どちらもサンスクリット語の二大叙事詩です。『ラーマーヤナ』は王子ラーマと妻シーターの救出を描き、徳の理想を比較的明確に示します。マハーバーラタははるかに長く、一族の戦争を扱い、何が正しいか簡単には決められない点で知られます。マハーバーラタにはラーマ物語の短い版も含まれています。

なぜドラウパディーには5人の夫がいたのですか。

物語ではアルジュナが彼女を勝ち取りますが、誤解から母クンティーが兄弟に、持ち帰ったものを分け合うよう言います。叙事詩は前世の話など、ほかにもいくつかの理由を挙げます。これが歴史上の慣習、神話的な型、あるいは意図的に人を考えさせる物語上の選択のどれを反映するのか、研究者の間で議論されています。

研究者はどの版を引用すべきですか。

学術研究では通常、批判校訂版(プネーのバンダルカル東洋学研究所、本文は1933~1966年刊)を巻、章、詩節で引用します。その箇所が伝統的な本文や特定の写本にしか見られない場合は、そのことも記します。

出典・参考文献

  1. Mahabharata. Wikipedia
  2. Bhagavad Gita. Wikipedia
  3. The Bhagavad Gītā. Internet Encyclopedia of Philosophy
  4. Bhandarkar Oriental Research Institute. Wikipedia
  5. Kurukshetra War. Wikipedia
  6. Harivamsa. Wikipedia
  7. Razmnama. Wikipedia
  8. J. A. B. van Buitenen, The Mahābhārata (translation, vols. 1–3). University of Chicago Press, 1973–1978
  9. E. Washburn Hopkins, The Great Epic of India: Its Character and Origin. Charles Scribner’s Sons, 1901

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上記の公開資料をもとにAIの支援を受けて執筆し、新たな研究に応じて改訂しています。

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