文学

ポポル・ヴフ

Popol Wuj (K'iche')

1554–1558年頃 · キチェ地域(グアテマラ)

ひとことで

ポポル・ヴフは、グアテマラのキチェ・マヤの人々の聖なる書物で、世界と人間の創造、英雄の双子の冒険、キチェの祖先の歴史を語っています。

ポポル・ヴフ
画像: Francisco Ximénez · Public domain · Wikimedia Commons

最初はやさしい入門です。下に進むほど詳しい説明や研究内容を読めます。

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子ども向け

昔、今のグアテマラにある緑の山々に、キチェ・マヤの人々が暮らしていました。人々は、世界がどうやって始まったかを伝える、とても大切な物語を受けついでいました。その物語を記した本を、今はポポル・ヴフと呼びます。「共同体の書」や「評議会の書」という意味があります。今もキチェの人々に大切にされています。

本によると、初めは静かな海と空だけがありました。世界をつくる神々が話し合うと、山や木や動物のいる大地が現れました。神々は、話したり感謝したりできる人間をつくろうとしました。まず泥でつくりましたが、その人間はくずれてしまいました。次に木でつくりましたが、木の人間は神々を忘れました。最後に黄色と白のトウモロコシでつくると、うまくいきました。

わくわくするのは、フンアフプーとシュバランケという勇敢な双子の兄弟の話です。二人は、重いゴムの球を腰で打つ球技が大好きでした。シバルバーという地下世界の支配者たちは、二人をだまして負かそうと、試合に呼びます。そして、刃物の家、ジャガーの家、火の家、コウモリの家で夜を過ごさせます。

双子はとてもかしこく、知恵や動物たちの助け、不思議な芸を使って支配者たちに勝ちます。最後に二人は空へ上がり、太陽と月になります。

本の最後には、最初のキチェの家族、長い旅、町を治めた王たちの話があります。1500年代にスペインの兵士が来た後、キチェの人々は物語が失われないよう、文字で書き残しました。そのおかげで、私たちは今もこの本を読めるのです。

ひと目でわかる

民族と伝統
グアテマラ高地のキチェ・マヤ。現在も多くのキチェの人々にとって聖なる書物
書き記された時期
1554~1558年ごろ、ラテン文字で記された(本文の王家の系譜に基づく推定)。さらに古い伝統を受けついでいる
場所
おそらく、かつてのキチェの都クマルカフ(ウタトラン)に近いサンタ・クルス・デル・キチェ
言語
マヤ諸語の一つである古典キチェ語(植民地時代のキチェ語)
著者
名前の伝わらないキチェの貴族たち。おそらく有力な家系の出身だが、誰であったかは議論がある
現存する最古の写本
ドミニコ会修道士フランシスコ・ヒメネスが1701~1703年ごろにチチカステナンゴで作成した、スペイン語訳付きの写本。現在はシカゴのニューベリー図書館に所蔵
内容
世界と人間の創造、英雄の双子の物語、キチェの家系の移住と1550年代までの歴史
文化財としての認定
2012年にグアテマラの無形文化遺産に指定

やさしい

ポポル・ヴフとは何か

ポポル・ヴフ(現代キチェ語のつづりではポポル・ウフ)は、現在のグアテマラ高地に暮らすマヤ系民族の一つ、キチェの人々が残した最も重要な物語です。世界と人間の創造についての聖なる伝承、神聖な双子をめぐる英雄物語、そして伝説上の起源からスペインの征服期までのキチェの支配家系の歴史を一つにまとめています。

題名はふつう「評議会の書」「共同体の書」「人々の書」などと訳されます。ポポルは敷物を指し、転じて評議会や集会を意味します。指導者たちが編んだ敷物に座ったためです。ヴフ、またはウフは「本」や「紙」を意味します。著者たちは、以前の本、すなわち元の「ポポル・ヴフ」がもう見られないため、改めて書いていると述べています。これは、征服以前に絵を描いた折りたたみ式の写本が存在し、語り継ぐ伝統も長く続いていた可能性を示します。

現存する本文は、植民地時代、おそらく1550年代に、名前の記されていないキチェの貴族たちがラテン文字を使ってキチェ語で書いたものです。ヘブライ語聖書やギリシアの叙事詩のような基礎的な作品とよく比較されます。しかし、メソアメリカ(メキシコと中央アメリカ)の宇宙観と歴史に基づく、社会の成り立ちを示す書物として、また今日も多くのキチェの人々にとって生きた聖典として理解することが大切です。

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やさしい

物語の第1部:世界と最初の人間の創造

ポポル・ヴフは、静けさの中で始まります。何もない空の下に、穏やかな海だけがあります。テペウとククマッツ(「主権者」「羽毛ある蛇」と訳されることが多い)、そしてフラカンとも呼ばれる「空の心」など、創造の神々がともに語り、考えます。神々の言葉によって大地が水から現れ、山や谷が形をなし、森や動物が生まれます。

神々は、言葉を話し、日を数え、創造者を敬う存在を望みます。動物はうまく話せないため、森で暮らし、食べられることになります。次に神々は泥で人間を形づくりますが、泥の人間はくずれて溶け、考えることもできません。そこで年老いた占い師のシピヤコックとシムカネに相談し、木から人間を彫り出します。木の人間は増え、話すこともできますが、心も血もなく、自分たちの創造者を覚えていません。神々が洪水を起こすと、人間にひどく扱われた道具や鍋、石臼、犬までもが反抗します。生き残った木の人間が森のサルになったと、本文は語ります。

ずっと後、英雄の双子の冒険によって世界が整えられてから、神々はようやく成功します。パシルとカヤラという場所から運ばれ、シムカネがすりつぶした黄色と白のトウモロコシを使い、最初の四人の男性、バラム・キツェ、バラム・アカブ、マフクタフ、イキ・バラムをつくり、続いてその妻たちをつくります。トウモロコシからできた人々は話し、感謝し、初めは近くも遠くもすべて見通せます。人間が自分たちと同じ力を持つことを心配した神々は、「鏡にかかる息のように」その視界を曇らせます。人間はトウモロコシからできているという考えは、今もマヤの人々のアイデンティティーの中心にあります。

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やさしい

物語の第2部:英雄の双子とシバルバーの支配者たち

現在の世界に最初の夜明けが訪れる前、双子のフンアフプーとシュバランケは、まず太陽と月を装って威張る鳥のような存在、七のコンゴウインコ(ヴクブ・カキシュ)を倒し、次にその傲慢な息子たち、シパクナーとカブラカンを倒します。これらの話は、本当の夜明けに先立って、偽りの力が取り除かれる様子を示しています。

物語はそこで一世代前に戻ります。双子の父と叔父、一のフンアフプーと七のフンアフプーは優れた球技の選手でしたが、騒がしい試合が地下世界シバルバーの支配者たちを悩ませました。一の死と七の死に率いられた支配者たちは二人を地下へ呼び、だまして殺します。一のフンアフプーの首はヒョウタンの木につるされました。シバルバーの若い女性シュキク(血の貴婦人)がその木を見に来ると、頭蓋骨が彼女の手につばを吐きかけ、彼女は身ごもります。地下世界から逃れたシュキクは双子の祖母シムカネの家へ行き、身元を確かめる試練を経て、フンアフプーとシュバランケを産みます。

双子は成長すると父の球技の道具を見つけ、父たちと同じようにシバルバーへ呼ばれます。そこで「暗闇の家」「刃物の家」「寒さの家」「ジャガーの家」「火の家」「コウモリの家」という、命にかかわる試練を次々に切り抜けます。コウモリの家ではフンアフプーの首が切り落とされますが、シュバランケは支配者たちをだますため、その代わりにカボチャをつけます。支配者たちが自分たちを殺そうとしていると知った双子は、自ら死ぬ段取りを整えます。二人は炉に飛び込み、砕かれた骨を川に投げ込まれます。その後、貧しい旅芸人として戻り、互いをいけにえにして生き返らせる奇跡を見せます。夢中になった支配者たちも同じことを望みますが、双子は彼らを殺したまま生き返らせず、シバルバーの力を打ち破ります。

その後、双子は父をよみがえらせようとします。父は球技場で敬われ続け、双子は空に昇って太陽と月になります。知恵、忠誠、自己犠牲が死に勝つことは、メソアメリカの物語における大きな主題の一つです。

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中級

物語の第3部:移住、夜明け、キチェの王たち

最後の部分では、神話から歴史へと話題が移ります。最初のトウモロコシの人々とその子孫は、東方の闇の中で増え、トゥラン・スユバという場所へ旅します。そこで、火と結びついた神トヒルをはじめ、守護神たちを授かります。トゥランを離れた後、各家系は異なる言語を話すようになります。これは高地の人々の多様性を説明するものです。

人々は山々をさまよい、断食をし、最初の夜明けを待ちます。太陽が昇ると、人間が知る世界が始まります。本文は続いて、キチェの家系がどのように定住し、近隣の人々と戦い、防備を固めた町を築き、最後に大きな都クマルカフを建てたかを語ります。キチェ王国が拡大した時代の有力な王キカブをはじめとする偉大な領主たちを描き、支配家族の称号と家々を列挙します。

本の終わりには、カウェク、ニハイブ、アハウ・キチェの各家系について、世代ごとの系譜が記されます。それは16世紀半ばのスペイン統治下に生きた支配者たちまで続き、スペインの征服にも触れます。この歴史の部分は、どの家族が権威を持つのか、またその理由を示す根拠となりました。植民地時代の土地や地位をめぐる争いでは、そのことが非常に重要でした。

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中級

歴史的背景:キチェ王国とスペインの征服

マヤ文明には二千年以上の歴史があります。ティカルやパレンケなど、古典期(紀元後250~900年ごろ)の低地の大都市では、高度な象形文字が使われていました。高地のキチェ王国が興ったのは、それよりずっと後の後古典期です。15世紀ごろには、カクチケルなどの人々が離反するまで、クマルカフを拠点にグアテマラ高地の広い範囲を支配しました。

1524年、スペインの征服者ペドロ・デ・アルバラードは、スペイン兵と中央メキシコから来た多数の先住民の同盟戦士を率いて高地に侵攻しました。現在のケツァルテナンゴ付近での戦闘の後、キチェの王たちは捕らえられて火刑に処され、クマルカフは破壊されました。その後、スペイン人は近くにサンタ・クルス・デル・キチェの町を建設しました。疫病、強制労働、宣教師による布教が続き、多くの先住民の書物が偶像崇拝のものとして破壊されました。

このような状況の中、宣教師からラテン文字を学んだ人もいたキチェの貴族たちは、自分たちの言語で文書を書き始めました。同じ時代の関連するキチェ語文書もいくつか残っています。たとえば『トトニカパンの権原書』(1554年)には、共通する歴史的伝承の別の形が記されています。ポポル・ヴフを書くことは、伝統を守り、自分たちの立場を示す行為でした。著者たちは「キリスト教の中で」書いていると述べながらも、古い神々、儀礼、王家の歴史を丁寧に記録しています。

世界全体に目を向けると、1550年代は急速に世界の結びつきが強まった時期でした。スペインはアメリカ大陸での帝国支配を固め、ポトシの銀は大西洋と太平洋を越えて運ばれ始めました。メキシコのナワ人の著者たちを含め、メソアメリカ各地の先住民がアルファベットを使って自分たちの歴史を書き残していました。

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中級

主な考え方とテーマ

言葉と対話による創造。世界は神々の会話、思考、言葉によって生まれます。創造は一度きりの行為ではなく、神々が協力し、試行錯誤する過程です。人間は、語り、記憶し、賛美と供物によって神々を養うために存在します。

トウモロコシと人間。人間は文字どおりトウモロコシの生地からつくられます。これは、何千年も前にトウモロコシを栽培化したメソアメリカの人々と、その作物との深い結びつきを表し、人間の一生を種まき、成長、収穫、再生の循環につなげます。双子の父の死と帰還、そして双子自身の死と復活には、トウモロコシの成長の周期と響き合うものがあります。

対になるもの、均衡、暦。空と大地、祖母と祖父、二世代の双子、昼と夜など、対になるものが随所に現れます。多くの名前には、260日周期の祭祀暦に由来する数字や日名が含まれます。たとえばフンは「一」、ヴクブは「七」を意味します。本文には、現在も暦を守り続けるキチェの儀礼専門家、日を数える人(アフキフ)の営みも反映されています。

傲慢さに勝つ知恵。英雄たちは力任せではなく、機転、変装、知識によって強い相手に勝ちます。七のコンゴウインコからシバルバーの支配者たちまで、威張り、残酷に振る舞う者は、その思い上がりのために敗れます。実際にメソアメリカで行われた、硬いゴムの球を使う儀礼的な球技は、生と死の争いが演じられる舞台になります。

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中級

本文はどう残ったか:口承からニューベリー図書館まで

1550年代に書かれたラテン文字の原本は失われています。本文が残ったのは、1701~1703年ごろ、チチカステナンゴのサント・トマス教区で司祭を務めていたドミニコ会修道士フランシスコ・ヒメネスが、地域の人々からキチェ語の写本を見せられたためです。彼はキチェ語の本文を写し、スペイン語訳を横に並べて記しました。ヒメネスは言語に関心を持つ一方、宣教師の立場から本文を見ていました。それでも、彼の丁寧な筆写によって、私たちは今日その本文を読むことができます。

ヒメネスの死後、彼の手稿はドミニコ会に保管され、1829~1830年にグアテマラ市のサン・カルロス大学へ移されました。オーストリア人旅行家カール・シェルツァーは1854年にそこで手稿を見つけ、1857年にウィーンでヒメネスのスペイン語訳を出版しました。1855年には、フランス人司祭で古物研究家のシャルル・エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブールブールが手稿を入手し、フランスへ持ち帰りました。1861年、彼はキチェ語の本文とフランス語訳を出版し、「ポポル・ヴフ」の名を広く知らしめ、本文を四つの巻に分けました。

ブラッスールの死後、手稿は売却され、最終的にアメリカ人収集家エドワード・E・エアーの所蔵品となりました。エアーはそれをシカゴのニューベリー図書館に寄贈しました。手稿はそこでほとんど忘れられていましたが、1941年にグアテマラの研究者アドリアン・レシーノスがその所在を確認しました。彼が1947年に出版したスペイン語訳は、代表的な翻訳となりました。ニューベリー図書館はその後、手稿のデジタル画像を公開しています。また、手稿を最終的にどこに置くべきかについて、多くのグアテマラ人やキチェの指導者たちが議論してきました。

重要な現代語訳には、マンロー・エドモンソンの韻文訳(1971年)、キチェの日を数える人アンドレス・シロフと相談しながら作られたデニス・テッドロックの英訳(1985年、1996年改訂)、キチェの研究者ルイス・エンリケ・サム・コロップによる版(『Popol Wuj』、1999年、および2008年のスペイン語訳)、アレン・J・クリステンソンによる逐語訳と詩的な翻訳(2003年以降)があります。本文は現代キチェ語をはじめ、多くの言語にも訳されています。

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中級

後世への影響と生きた伝統

多くのキチェやほかのマヤの人々にとって、ポポル・ヴフは過去の遺物ではなく、今も生きる精神的・文化的遺産の一部です。日を数える人、教師、活動家たちは、儀式や教育、先住民の権利と言語の再生を求める運動でこの書物をよりどころにしています。こうした運動は、グアテマラの内戦(1960~1996年)と1996年の和平合意の後に広がりました。読者は、その神々、場所、儀礼が現在も暮らす人々の共同体にとって神聖であることを心に留める必要があります。

グアテマラでは、この本は国の象徴です。パリでマヤの文献を研究したノーベル賞受賞作家ミゲル・アンヘル・アストゥリアスは、小説『トウモロコシの人々』(1949年)でポポル・ヴフから多くの着想を得ました。2012年、グアテマラ文化省はポポル・ヴフを国の無形文化遺産に指定しました。トウモロコシから生まれた人間や英雄の双子など、その物語のイメージは壁画、演劇、音楽、児童書、映画に登場します。

研究者にとって、ポポル・ヴフは古代マヤ美術の理解を大きく変えました。1970年代以降、マイケル・D・コーらは、ポポル・ヴフが書き記される約700年前につくられた古典期のマヤの彩色土器に、同じ英雄や地下世界の支配者たちの物語が描かれていると見いだしました。グアテマラのサン・バルトロで発見された壁画(紀元前1世紀ごろに描かれたもの)にはトウモロコシの神の物語が表されており、関連する神話の主題がさらに古いことを示しました。

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上級

研究上の論争と未解決の問い

成立年代と著者。1554~1558年ごろという年代は、本文内部の証拠に基づきます。系譜に記された最後の世代の領主たちは、1550年代のスペイン植民地記録に登場するキチェの支配者たちと照合できます。著者たちは、自分たちがキチェの貴族であることしか明かしていません。研究者の中には、『トトニカパンの権原書』の署名者ディエゴ・レイノソや、カウェク家の「大執事」のような家系の称号を持つ貴族など、特定の人物を候補に挙げる人もいますが、立証された候補者はいません。

スペイン到来以前からの核心か、植民地時代の融合か。著者たちはスペイン統治下で書いており、キリスト教の考えが本文をどの程度形づくったかは議論されています。シュキクの不思議な受胎や洪水など、聖書の物語と比較されてきた場面もあります。現在、多くの専門家は、古典期の図像やほかの高地の史料との共通点を根拠に、中心となる物語がメソアメリカの古い伝統に深く根ざしていると重視します。同時に、著者たちが植民地時代の世界を意識して本文を構成したことも認めています。近年の研究では、ポポル・ヴフを、征服前の伝承がそのまま残ったものや宣教師の影響で作られたものとみなすよりも、植民地支配に対する先住民の創造的な応答として捉える傾向があります。

「元の本」。著者たちが言及する以前のポポル・ヴフは、どのようなものだったのでしょうか。現存する後古典期のマヤや中央メキシコの絵文書と同じように、専門家が口頭で物語を語る際に使った、絵入りの折りたたみ式の本だったかもしれません。しかし、キチェ高地のそのような本は残っていません。ラテン文字の本文がその本にどれほど忠実なのか、それとも口頭で語られた内容をどれほど記録したものなのかは分かりません。

古典期マヤとの連続性。古典期の壺に描かれた人物(古典マヤ文字の碑文ではフン・アハウ、ヤシュ・バラムと呼ばれることが多い)を英雄の双子と、双子の父を古典期のトウモロコシの神と結びつける見解は、特にカール・タウベらの研究と関連し、大筋で広く受け入れられています。ただし、16世紀の高地の本文を、古典期の低地におけるすべての図像を直接読み解く鍵として扱うことには、研究者は注意を促します。両者の間には数世紀の隔たりがあり、地域と言語も異なるためです。

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上級

一次史料、翻訳、研究方法について

主要な写本は一つです。キチェ語の本文とヒメネスによるスペイン語訳を収めた、ヒメネスの写本(ニューベリー図書館、エアー写本1515)です。ヒメネスは、ドミニコ会管区の歴史書に収めた別のスペイン語版も作成しました。研究者はこれらを、『トトニカパンの権原書』や『カクチケル年代記』を含む関連するキチェ語・カクチケル語の文書、植民地時代の土地の権原書、クマルカフやほかの高地遺跡の考古学的証拠と比較します。

翻訳は特に難しい作業です。古典キチェ語は現代のキチェ語と異なり、ヒメネスのつづり方も統一されていません。また本文の大部分は、意味の近い表現を対にして並べる形式で書かれています。これはメソアメリカの改まった話し方に見られる特徴で、一つの考えを少し違う言葉で二度表します。翻訳者は、本文を散文として示すか詩として示すか、名前をどう表記するか、現代のキチェ語話者の解釈をどの程度参考にするかを決めなければなりません。名前の例としてフラカンは、よく知られているものの議論もある語源説によれば、カリブ海地域の言語を経て「ハリケーン」という語の由来になったとされます。

現在広く受け入れられている研究上の原則の一つは、キチェ語の話者や儀礼の専門家と協力することです。テッドロックはアンドレス・シロフと、クリステンソンはモモステナンゴなどの長老たちと協力しました。今も続く実践についての彼らの知識は、以前の文献学者には難解だった箇所を明らかにしました。同時に研究者は、本文の16世紀における意味と後世の再解釈を区別し、マヤ文化を変化しないものとして扱わないことも重視しています。

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重要なポイント

言葉による創造
神々はともに語り、考えることで創造します。世界は対話と試行錯誤の結果として生まれます。
トウモロコシから生まれた人間
本当の人間はトウモロコシの生地からつくられ、人間のアイデンティティーは主食となる作物とその成長の循環に結びついています。
死と再生
英雄の双子は死んで戻ります。その姿は、トウモロコシの種まきと発芽、そして太陽の日々の旅を思わせます。
傲慢さに勝つ知恵
賢い英雄たちは、策略、忍耐、自己犠牲によって、威張り、残酷に振る舞う強者を倒します。
感謝と互いに応えること
人間は創造者を覚え、敬うために存在します。木の人間のように創造者を忘れると、滅びを招きます。
権威の根拠としての歴史
系譜はキチェの家系の正統性を示し、宇宙の始まりと政治的な秩序を結びつけます。
知識を守るための記述
失われかねない知識を残すため、征服後にアルファベットを使って本文が書き記されました。

記録

  1. 紀元前100年頃 — グアテマラのサン・バルトロの壁画が描かれたおよその時期。後の神話と関連するトウモロコシの神の物語が表されている。
  2. 700年頃 — 古典期マヤの彩色土器に、英雄の双子と地下世界の支配者たちが描かれる(紀元後600~900年ごろ)。
  3. 1400年頃 — キチェの都クマルカフが建設され、高地で王国が拡大する(15世紀)。
  4. 1524年 — ペドロ・デ・アルバラードの軍がキチェを征服する。王たちは処刑され、クマルカフは焼かれる。
  5. 1554年頃 — 名前の伝わらないキチェの貴族たちが、ポポル・ヴフをラテン文字で書き記す(1554~1558年ごろ)。
  6. 1701年頃 — フランシスコ・ヒメネスがチチカステナンゴで写本を筆写し、翻訳する(1701~1703年ごろ)。
  7. 1857年 — カール・シェルツァーが、ヒメネスのスペイン語訳をウィーンで出版する。
  8. 1861年 — ブラッスール・ド・ブールブールが、キチェ語の本文とフランス語訳をパリで出版する。
  9. 1941年 — アドリアン・レシーノスがニューベリー図書館でヒメネスの写本の所在を確認する。
  10. 1947年 — レシーノスのスペイン語訳が出版される。
  11. 1985年 — デニス・テッドロックの英訳が出版される。
  12. 2012年 — グアテマラがポポル・ヴフを国の無形文化遺産に指定する。

用語集

キチェ
グアテマラ高地に暮らすマヤ系民族、およびその言語。キチェ語は、現在も広く話されているマヤ諸語の一つ。
シバルバー
キチェの信仰における地下世界。死や病の支配者たちが治める。文字どおりには「恐れの場所」という意味。
英雄の双子
シバルバーの支配者たちを倒し、太陽と月になる神聖な双子、フンアフプーとシュバランケ。
メソアメリカ
メキシコと中央アメリカの広い範囲にまたがる文化圏。オルメカ、マヤ、サポテカ、アステカなどの文明が栄えた。
メソアメリカの球技
重いゴムの球を主に腰で打ち、細長い、平面がI字形の球技場で行う儀礼的なスポーツ。
絵文書
ここでは、樹皮紙やシカの皮を折りたたみ、絵や文字を描いた本。スペイン人到来以前のメソアメリカで使われた。
日を数える人(アフキフ)
260日周期の聖なる暦を守り、儀式や占いを行うキチェの儀礼専門家。
クマルカフ
後古典期のキチェ王国の都。1524年に破壊された。ナワトル語の名ウタトランでも知られる。
対句法
一つの考えを、少し違う言葉を使った二つの対応する句で表す詩的な技法。

よくある質問

「ポポル・ヴフ」とはどういう意味ですか?

おおよそ「評議会の書」または「共同体の書」という意味です。ポポルは敷物を意味し、転じて評議会を指します。ヴフ(ウフ)は本や紙を意味します。

英雄の双子とは誰ですか?

フンアフプーとシュバランケという双子の兄弟です。偽りの太陽を倒し、球技や一連の試練で地下世界の支配者たちに知恵で勝ち、最後に太陽と月になります。

ポポル・ヴフはスペインの征服より古いのですか?

書かれた本文は征服後の1550年代のものですが、物語自体はずっと古いものです。関連する場面は、何世紀も前につくられたマヤ美術にも見られます。

ポポル・ヴフを書いたのは誰ですか?

名前の伝わらないキチェの貴族たちです。著者名は記されていません。研究者が候補を挙げていますが、確かな人物はいません。

原本はどこにありますか?

1550年代の原本は失われました。現存する最古の写本は、フランシスコ・ヒメネスが1701~1703年ごろに作成したもので、シカゴのニューベリー図書館にあります。

物語では、なぜ人間はトウモロコシからつくられたのですか?

トウモロコシはメソアメリカで最も重要な食べ物でした。人間がトウモロコシからできているという話は、人々と土地、そして人々を支える作物との深い結びつきを表します。

ポポル・ヴフは今も聖なる書物ですか?

はい。多くのキチェやほかのマヤの人々が聖なる書物と考え、儀式や教育、文化の再生に生かしています。そのため、敬意をもって読むことが大切です。

出典・参考文献

  1. Popol Vuh. Wikipedia
  2. Allen J. Christenson, Popol Vuh: Sacred Book of the Quiché Maya People (translation and commentary; electronic version of the 2003 University of Oklahoma Press edition). Mesoweb Publications, 2007
  3. Maya Hero Twins. Wikipedia
  4. Xibalba. Wikipedia
  5. Qʼumarkaj. Wikipedia
  6. Kʼicheʼ people. Wikipedia
  7. Francisco Ximénez. Wikipedia
  8. Charles Étienne Brasseur de Bourbourg. Wikipedia
  9. Mesoamerican ballgame. Wikipedia
  10. Dennis Tedlock (translator), Popol Vuh: The Definitive Edition of the Mayan Book of the Dawn of Life and the Glories of Gods and Kings. Simon & Schuster, 1985 (revised 1996)

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上記の公開資料をもとにAIの支援を受けて執筆し、新たな研究に応じて改訂しています。

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