最初はやさしい入門です。下に進むほど詳しい説明や研究内容を読めます。
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子ども向け
世界に書けるすべての本が入った、とても大きな図書館を想像してみてください。そこには、あなたの一生を書いた本も、一文字だけ間違った本もあります。『伝奇集』には、そんな図書館の話があります。
『伝奇集』には、つくり話が集められています。作者のホルヘ・ルイス・ボルヘスは、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに住んでいました。百科事典や地図、鏡、探偵小説、古い本が大好きな人でした。
ある話では、二人の友人が、実在しない国について書かれた百科事典の記事を見つけます。やがて、想像上の星についての百科事典も見つかり、その星のものが私たちの世界に現れ始めます。
別の話では、馬から落ちた少年が、見たものを何もかも覚えるようになります。木の葉も、刻々と変わる雲も忘れません。すごい力に聞こえますが、忘れられないせいで、ものを考えることが難しくなります。
話は短く、多くは十ページほどですが、なぞなぞや迷路のようです。世界中の作家だけでなく、科学者やコンピューターのプログラマーも、これらの話からヒントを得ています。
ひと目でわかる
- 作者
- ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899~1986年)、アルゼンチン
- 刊行
- 1944年、ブエノスアイレス(スール社)。増補版は1956年(エメセ社)
- 言語
- スペイン語
- 構成
- 二部構成。『分岐する小径の庭』(8編。1941年に単独の本として初刊)と『工匠集』(1944年には6編、1956年からは9編)
- ジャンル
- 幻想文学、探偵小説、哲学的な随筆、架空の学術研究を組み合わせた短編小説
- 主な作品
- 「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」「バベルの図書館」「分岐する小径の庭」「記憶の人、フネス」「死とコンパス」「南部」
- 英語版
- アンソニー・ケリガン編、グローヴ・プレス刊、1962年
- 重要性
- ボルヘスが世界的に知られるきっかけとなり、後のポストモダン文学やラテンアメリカ文学の先駆けとなった
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『伝奇集』とは?
『伝奇集』は、20世紀を代表する作家の一人、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編集である。1944年にブエノスアイレスで刊行され、彼の最も有名な本となった。原題は「つくり話」を意味する。物語は、自分たちがつくり話であることを意識しながら、創作と現実の境界で遊んでいる。
ほとんどの作品は非常に短く、普通の小説には見えないものも多い。実在しない本の書評、追悼文、脚注付きの論考、探偵小説の謎、告白などの形で書かれている。実在する本や学者と架空の本や学者が、もっともらしい細部とともに並ぶため、どこまでが事実でどこからが創作なのか、読者には簡単にわからない。
繰り返し登場するのは、迷宮、鏡、図書館、百科事典、夢、くじ、無限の時間などである。ボルヘスはそれらを通して、宇宙を知り尽くせるのか、世界には秩序があるのか、時間がたっても同じ人であり続けるとはどういうことか、ある考えが現実を変えるほど強くなったら何が起きるのか、といった大きな問いを遊び心をもって投げかける。
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本には何が収められている?
第一部『分岐する小径の庭』は、1941年に小さな単行本として刊行された。収録作は「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」「アル・ムターシムを求めて」「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」「円環の廃墟」「バビロニアのくじ」「ハーバート・クエインの作品の検討」「バベルの図書館」「分岐する小径の庭」の8編である。
第二部『工匠集』は、1944年に「記憶の人、フネス」「剣の形」「裏切り者と英雄のテーマ」「死とコンパス」「隠された奇跡」「ユダについての三つの解釈」の6編を加えて成立した。1956年版には、さらに「結末」「フェニックス教団」「南部」の3編が加わった。作品の大半は、ブエノスアイレスの雑誌『スール』や新聞『ラ・ナシオン』に先に掲載されていた。
各部には短い序文がある。第一部の序文でボルヘスは、膨大な本を一から書くのは骨の折れる、実りの乏しい狂気であり、その本がすでに存在するふりをして、要約や解説を書くほうがよいと述べる。この発想が、架空の作品の書評や覚え書き、要約が多い理由を示している。
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有名な四つの物語
「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」は、ボルヘスと実在の友人で作家のアドルフォ・ビオイ=カサーレスが、百科事典の一冊にウクバールという国の記事を見つけるところから始まる。後に、物質ではなく精神と知覚だけが存在すると人々が信じる架空の惑星、トレーンの百科事典も現れる。未来の日付が付いた追記から、秘密結社がトレーンを考案し、その物や思想が現実世界を覆い始めていることが明らかになる。
「バベルの図書館」は、本でいっぱいの六角形の部屋が果てしなく続く宇宙を描く。どの本も410ページで、25種類の記号のあらゆる組み合わせからできている。図書館のどこかには、真実の歴史もあらゆる嘘も、図書館そのものについての正しい説明もある。しかし、意味のあるページを見つけることは絶望的に難しい。図書館員たちは絶望や迷信、狂信に陥る。
「分岐する小径の庭」では、第一次世界大戦中にドイツのために働く中国人のスパイが、イギリスの捜査官に捕まる前に秘密の伝言を届けなければならない。彼は、祖先が書き残した未完の小説の謎を解いた学者を訪ねる。その小説では時間が枝分かれし、起こりうるすべての出来事が同時に起こる。この作品は探偵小説であると同時に、時間についての思索でもある。
「記憶の人、フネス」は、馬から落ちた後、それまでに感じ取ったすべてを細部まで覚えているようになったウルグアイの青年を描く。忘れることができないため、物事をまとめたり抽象化したりできず、語り手によれば、本当の意味で考えることができない。
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ほかの物語――自己、信仰、運命
「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」は、架空のフランス人作家をたたえる文章として書かれている。彼はセルバンテスの『ドン・キホーテ』を写したり翻訳したりするのではなく、20世紀の人間として一語一句同じ文章を新たに書こうとした。語り手は同一の文章を比べ、時代が違えば同じ言葉の意味も変わるため、メナールの作品のほうが豊かだと論じる。滑稽な物語であると同時に、読書、著者、歴史についての真剣な議論でもある。
「円環の廃墟」では、魔術師が夢の中で細部まで思い描いて息子を生み出すが、最後には自分もまた誰かの夢であると知る。「バビロニアのくじ」は、秘密の「会社」が営むくじが次第にあらゆることを支配し、偶然と秩序の区別がつかなくなる社会を描く。
「死とコンパス」では、優秀な探偵が、神を表す神秘的なヘブライ語の名に沿って起きているように見える連続殺人を追う。しかし、その規則性は敵が仕掛けた罠だった。「隠された奇跡」は、1939年にナチスに逮捕されたプラハのユダヤ人劇作家が、戯曲を完成させる時間を神に願う話である。銃殺隊が発砲する直前の一瞬、彼にとっての時間は一年間止まる。「ユダについての三つの解釈」は、神の真の化身はイエスではなくユダだったという、架空の神学者の議論を示す。
「剣の形」と「裏切り者と英雄のテーマ」は、アイルランドの反乱を背景に、裏切りと隠された正体を扱う。1956年に加えられた「南部」は、ボルヘス自身に似た深刻な頭のけがを負った図書館員が、アルゼンチン南部の田舎へ旅し、ナイフでの決闘に向かう話である。ボルヘスが自作中の最高傑作かもしれないと語ったこの作品は、病院で死にかけている男の夢としても読める。
中級
ブエノスアイレス、『スール』、そして戦争下の世界
1930~40年代のブエノスアイレスは、南北アメリカでも有数の大きく豊かな都市で、出版業が盛んであり、ヨーロッパからの移民も多かった。ビクトリア・オカンポが1931年に創刊した雑誌『スール』は、アルゼンチンの作家とヨーロッパ・北米の文学を結び、ボルヘスの作品を数多く掲載した。友人のビオイ=カサーレスとは、探偵小説のパロディーを共作し、幻想文学のアンソロジーを共同編集した。二人は写実主義よりも、緻密な筋立てと知的な発想をもつ小説を好んだ。
『伝奇集』は第二次世界大戦中に書かれた。当時、アルゼンチンの支配層や軍の一部は枢軸国に同情的だったが、ボルヘスは公然とファシズムとナチズムに反対した。プラハを舞台にした「隠された奇跡」や、魅力的で整然とした架空の体系が現実世界を支配し始める「トレーン」の追記などに、戦争の影響を読み取ることができる。多くの読者は後者を当時の全体主義思想と結びつけている。
ボルヘスは国内の文学論争にも応えていた。当時のアルゼンチンやラテンアメリカでは、写実主義、社会問題、国民的な題材を重んじる小説が多かった。ボルヘスは、アルゼンチンの作家には世界の文化全体を扱う権利があり、土地固有の題材に限る必要はないと主張した。1942年に『分岐する小径の庭』が国の文学賞を逃すと、『スール』は彼を支持する特集を組んだ。ペロンの政権掌握後、1946年にボルヘスは図書館の仕事を失い、本人の有名な説明によれば家禽とウサギの検査官に配置転換されたため、辞職した。
中級
主な思想と技法
哲学を小説にする。ボルヘスはバークリー、ヒューム、ショーペンハウアーなどの哲学者や、カバラ、キリスト教神学、数学から着想を得て物語を作った。それらの思想が正しいと主張したのではない。本人の言葉によれば、美的な価値から思想を捉え、もしそれが本当なら世界はどうなるかを探った。
無限と迷宮。図書館、枝分かれする庭、終わりのないくじ、「死とコンパス」の迷路は、広大すぎたり複雑すぎたりして理解しきれない宇宙の姿である。登場人物は隠れた秩序や鍵、中心を探すことが多いが、失敗するか、予想外のものを見つける。
架空の学術研究。ボルヘスは実在の本や人物と架空のものを混ぜ、脚注、日付、参考文献を添えた。これにより、幻想的な出来事が記録文書のように感じられる。また、私たちが信頼する文献から知識がどう組み立てられるかを、読者に考えさせる。
簡潔さと正確さ。多くのモダニズム作家と違い、ボルヘスは厳選した形容詞、控えめな表現、皮肉なユーモアを使って非常に短い作品を書いた。驚くような発想を落ち着いた学究的な口調で語るところに、大きな魅力がある。
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探偵小説と謎解きの楽しさ
ボルヘスは探偵小説を愛し、とりわけイギリスのG・K・チェスタトンと、探偵小説の創始者と考えていたアメリカのエドガー・アラン・ポーを好んだ。問題が示され、手がかりが公平に並べられ、意外でありながら必然的な解決に至るという厳密な決まりを評価した。『伝奇集』のいくつかの作品、とりわけ「分岐する小径の庭」と「死とコンパス」は、この構造をはっきりと用いている。
一方でボルヘスは、探偵小説の仕組みを逆転させる。「死とコンパス」では、探偵の見事な推理こそが彼を罠へ導く。敵は、彼が単純な説明ではなく知的な規則性を探すと見抜いていた。「分岐する小径の庭」で本当に問われるのは、誰が犯罪を犯したかではなく、時間そのものがどのようなものかである。筋の謎が解けると、探偵にも解けない、さらに大きな謎が開ける。
このため、多くの作品には二重の構造がある。表面には意外な結末をもつ緊密な筋があり、その下には哲学的な問題がある。読者も探偵のように、名前や日付、脚注にある手がかりを探すよう誘われる。「トレーン」のビオイ=カサーレスのような実在の人物と架空の人物が並び、どちらがどちらかを見分けることも楽しみの一つだ。読み返すと、初読では飾りに見えた細部が、実は欠かせないものだったとわかることが多い。
ボルヘスはビオイ=カサーレスとともに、H・ブストス=ドメックという共同の筆名で、1942年から滑稽な探偵小説も書いた。『伝奇集』と並ぶこの共作は、多くの批評家が大衆的なジャンルを軽視していた時代に、彼がそれらをいかに真剣に捉えていたかを示している。
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影響と遺産
1948年、アンソニー・バウチャー訳の「分岐する小径の庭」が『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に掲載された。これは英語で発表された最初のボルヘス作品だった。しかし、彼が国際的に有名になったのは、1961年にサミュエル・ベケットと国際出版者賞(フォルメントール賞)を共同受賞してからである。1962年には英語の短編集『伝奇集』とアンソロジー『迷宮』が刊行され、世界中の作家にとって重要な存在となった。
『伝奇集』は、フリオ・コルタサル、ガブリエル・ガルシア=マルケス、カルロス・フエンテスら、1960年代のラテンアメリカ文学の「ブーム」を担った作家にとって重要だった。ただし、彼らの政治観や文体はボルヘスと異なることも多かった。アメリカやヨーロッパでは、ジョン・バース、イタロ・カルヴィーノ、ウンベルト・エーコらが、虚構を使った彼の仕掛けから影響を受けた。バースは論考「枯渇の文学」(1967年)で、モダニズム以後の文学の手本としてボルヘスを取り上げた。エーコの『薔薇の名前』には、ブルゴスのホルヘという盲目の図書館員が登場する。
影響は文学の外にも及ぶ。「バベルの図書館」は情報、組合せ論、インターネットの議論で引用され、これを模したウェブサイトも作られた。「分岐する小径の庭」は量子力学の多世界解釈やハイパーテキスト小説と結びつけられ、その題名は統計学上の問題の呼び名にもなった。「トレーン」は、考案された体系や仮想世界が現実を作り替えることについての寓話として読まれることが多い。
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本文、版、翻訳
『伝奇集』の本文には、いくつもの段階を経た歴史がある。各作品はまず1939~44年に雑誌や新聞に発表され、後から加えられた作品は1950年代初めまでに発表された。「アル・ムターシムを求めて」はさらに古く、最初はボルヘスの随筆集『永遠の歴史』(1936年)に収められていた。その後、作品は『分岐する小径の庭』(1941年)と『伝奇集』(スール社、1944年)にまとめられ、1956年のエメセ社版には3編と新しい注記が加わった。ボルヘスは版を重ねる間に本文を改訂し、追記や注も加えたため、研究者は各版を比較して変更をたどっている。
したがって、1944年は各作品の執筆年ではなく、二部を合わせた本の刊行年を示す。「トレーン」の追記には、1940年発表の作品の中で1947年という日付が付いている。これもボルヘスが意図した時間の仕掛けの一つである。
英語では、1962年のグローヴ・プレス版はアンソニー・ケリガンのもとで複数の翻訳者が手がけた。また、多くの作品はジェームズ・E・アービーやドナルド・A・イェーツによって『迷宮』向けにも翻訳された。アンドリュー・ハーリーが一人で訳した『全短編』(1998年)は、新たな翻訳を提示した。ボルヘス独特の形容詞や控えめな表現をどう訳すかなど、訳文の違い自体も研究対象となっている。「ピエール・メナール」で翻訳を創造として描いた作家にふさわしいことである。
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批評上の論争
普遍的か、アルゼンチン的か。アルゼンチンの初期の批評家には、ボルヘスが「ヨーロッパ化」して国の現実から離れていると非難する人もいた。後の研究は、「結末」や「南部」で書き直されたガウチョの伝統、ブエノスアイレスの郊外、ヨーロッパの正典に周辺文化がどう向き合うかという問いなど、彼の作品とアルゼンチンとの深い結びつきを強調してきた。ベアトリス・サルロの『周縁の作家ボルヘス』(1993年)は、アルゼンチンの周縁という立場から彼を読むことを主張した著名な研究である。
理論の先駆けか。哲学者や理論家は、『伝奇集』が自分たちの考えを先取りしていると論じてきた。「ピエール・メナール」は、読者の反応を重視する批評や、後の「作者の死」をめぐる議論を先取りした作品として読まれることが多い。ミシェル・フーコーは『言葉と物』(1966年)をボルヘスの文章で始めたが、それは『伝奇集』ではなく、後の随筆からの引用だった。こうした読みが物語の理解を深めるのか、それとも後から生まれた理論の例にしてしまうのか、批評家の意見は分かれる。
政治。ボルヘスは後年、アルゼンチンの軍事クーデターを支持し、1976年にはチリのピノチェト政権から栄誉を受けた。1980年代にはアルゼンチンの軍事政権による人権侵害を批判し、以前の立場を一部改めたが、これらの言動は彼の評価を複雑にしている。ノーベル賞を受けなかった理由として挙げられることも多い。『伝奇集』の反全体主義的な主題を、この後年の立場とどう結びつけて読むべきか、研究者の間で議論がある。
ジャンル。『伝奇集』は幻想文学とも、メタフィクションとも、哲学小説とも呼ばれる。ボルヘス自身は探偵小説の構造や幻想的なものを表現の道具として使った。作品を主として形式的な仕掛けとして捉えるか、哲学として読むか、それとも記憶、自己、失明をめぐる個人的な不安の表現として読むか、批評家の見解は分かれる。
重要なポイント
- メタフィクション
- 架空の書評や脚注などを通して、自分がつくり話であることをはっきり意識させる小説。
- 迷宮
- 複雑で、おそらく無限に広がり、人間の知性では捉えきれない宇宙を表す、ボルヘスの中心的なイメージ。
- 無限
- 終わりのない図書館、くじ、枝分かれする時間を通して、無限が人間の生活にとって何を意味するかを探る。
- 観念論
- 現実は精神や観念から成るという哲学的な考え。トレーンという惑星では、それが極端な形で示される。
- 読むことで意味は変わる
- ピエール・メナールが示すように、同じ言葉でも時代や読者が違えば意味は変わる。
- 記憶と忘却
- フネスの物語は、考えるためには忘れ、共通点を見つけ、抽象化することが必要だと示唆する。
- 秩序と偶然
- 「バビロニアのくじ」のような物語は、世界を動かすのは計画なのか偶然なのかを問う。
記録
- 1899年 — 8月24日、ホルヘ・ルイス・ボルヘスがブエノスアイレスで生まれる。
- 1931年 — ビクトリア・オカンポがブエノスアイレスで雑誌『スール』を創刊する。
- 1936年 — 「アル・ムターシムを求めて」がボルヘスの『永遠の歴史』に収められる。
- 1938年 — 12月24日、ボルヘスが頭に重い傷を負い、感染症にかかる。
- 1939年 — 5月、「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」が『スール』に掲載される。
- 1940年 — 「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」が『スール』に掲載される。
- 1941年 — 8編を収めた『分岐する小径の庭』が刊行される。
- 1944年 — 『伝奇集』が『分岐する小径の庭』に『工匠集』の6編を合わせて刊行される。
- 1948年 — 「分岐する小径の庭」が、ボルヘス作品として初めて英訳されて発表される。
- 1956年 — 増補版に「結末」「フェニックス教団」「南部」が加わる。
- 1961年 — ボルヘスがサミュエル・ベケットと国際出版者賞を共同受賞する。
- 1962年 — 英訳の『伝奇集』と『迷宮』が刊行される。
用語集
- 短編小説
- 通常は一度に読み切れる、短い小説。
- 迷宮
- 道に迷いやすい、入り組んだ通路。ボルヘスにとっては宇宙の象徴。
- メタフィクション
- 自分がつくられた物語であることに読者の注意を向けさせる小説。
- 観念論
- 哲学で、現実は根本的に精神的なものであり、観念や知覚から成るとする見方。
- 序文
- 本の冒頭に置かれる紹介文。
- 追記
- 本文の後に付け加えられた文章。
- 『スール』
- ビクトリア・オカンポが1931年にブエノスアイレスで創刊した、影響力のある文芸雑誌。
- ラテンアメリカ文学のブーム
- 1960~70年代にラテンアメリカの小説家が国際的な成功を収めた動き。
- ウルトライスモ
- 1920年ごろのスペインとアルゼンチンで、印象的な比喩を重んじた前衛詩運動。
よくある質問
バベルの図書館は実在しますか?
いいえ、架空の図書館です。ただし、その大きさを計算した人がおり、図書館を模したウェブサイトも作られています。
物語に出てくる本や人物は実在しますか?
実在するものと架空のものがあります。ボルヘスは実在の作家、友人、本を架空のものと混ぜました。それも作品の仕掛けの一つです。
物語はなぜこんなに短いのですか?
ボルヘスは、膨大な本を実際に書くよりも、そうした本を想像し、その短い要約や書評を書くほうがよいと考えていました。
最初に何を読むとよいですか?
短くて引き込まれる「バベルの図書館」「記憶の人、フネス」「分岐する小径の庭」から読み始める人が多いです。「トレーン」は内容が豊かですが、やや難しい作品です。
『伝奇集』を書くとき、ボルヘスは自分の人生から影響を受けましたか?
一部はそうです。1938年の頭のけがは、この手法で最初に書いた作品や「南部」に影響し、図書館員としての仕事は「バベルの図書館」に生かされました。ただし、物語は単純な自伝ではありません。
『伝奇集』は哲学や科学に影響を与えましたか?
哲学者、文学理論家、物理学者、コンピューター科学者に広く引用されています。ただし、ボルヘスが彼らの考えを「先取り」したと言えるかどうかは議論があります。
ボルヘスはなぜノーベル賞を受賞しなかったのですか?
スウェーデン・アカデミーは選考の理由を説明していません。1970年代の政治的に議論を呼んだ発言を理由に挙げる論者は多いものの、確かな理由はわかりません。
出典・参考文献
- Ficciones. Wikipedia
- 픽션들. 위키백과
- Jorge Luis Borges. Wikipedia
- Tlön, Uqbar, Orbis Tertius. Wikipedia
- The Library of Babel. Wikipedia
- The Garden of Forking Paths. Wikipedia
- Pierre Menard, Author of the Quixote. Wikipedia
- Funes the Memorious. Wikipedia
- Edwin Williamson, Borges: A Life. Viking, 2004
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上記の公開資料をもとにAIの支援を受けて執筆し、新たな研究に応じて改訂しています。
