文学

古事記

古事記 (Furukotofumi)

712年 · 奈良(平城京)

ひとことで

『古事記』は、712年に元明天皇に献上された、日本に現存する最古の書物である。神々による世界と日本列島の誕生を語り、皇室の系譜を太陽の女神アマテラスから7世紀初めまでたどる。

古事記
画像: Ken'yu (賢瑜), Koten Hozonkai (古典保存会) · Public domain · Wikimedia Commons

最初はやさしい入門です。下に進むほど詳しい説明や研究内容を読めます。

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子ども向け

『古事記』は、今も残っている日本でいちばん古い本です。今からおよそ1300年前の712年にできました。昔のできごとを記した本で、神さまや英雄、天皇の物語がたくさん入っています。

物語は、世界の始まりから始まります。イザナギとイザナミという兄妹の神さまが、空に浮かぶ橋に立ち、宝石でかざった矛で海をかきまぜます。矛から落ちたしずくが、最初の島になりました。それから二人は日本の島々や、海、山、風、木などの神さまを生みます。

とても有名なのが、太陽の女神アマテラスの話です。弟で嵐の神スサノオがあばれたので、アマテラスは洞くつにかくれ、岩で入口をふさぎました。世界は真っ暗になります。ほかの神さまたちは外でおもしろい踊りをして、大声で笑います。アマテラスが何ごとかと顔を出すと、神さまたちはアマテラスを外に出します。こうして光がもどりました。

その後、スサノオは、頭が八つ、尾も八つある大きなヘビをたおし、その尾から不思議な剣を見つけます。また、大国主という神さまは、毛をはがされて困っているウサギを助けます。ウサギはお礼に大国主を助けます。

この本には、アマテラスの孫が天から地上に降り、そのひ孫が日本で最初の天皇になったと書かれています。後の部分には、天皇や皇子たちの話が出てきます。今の歴史学者は、これらをそのまま本当にあった歴史ではなく、神話や伝説として読みます。それでも『古事記』は、日本のことばや信仰、物語を知るための大切な宝物です。

ひと目でわかる

成立
和銅5年(712年)正月28日に元明天皇に献上
編纂者
太安万侶(723年没)。天武天皇(在位673~686年)の命で稗田阿礼が暗誦した内容をもとに編纂
場所
日本の平城京(奈良)にあった朝廷
言語・表記
漢字を複合的に使用。序文は漢文体、本文は日本語化した漢文体で、歌は万葉仮名を用いて上代日本語の音を表記
構成
全3巻。神代、神武天皇から応神天皇まで、仁徳天皇から推古天皇(628年没)まで
内容
天地創造の神話、神々と統治者の系譜、英雄の伝説、100首を超える歌
現存最古の写本
1371~1372年に書写された真福寺本(国宝)
重要性
日本に現存する最古の書物。神道神話、初期の日本語と文学、国民的アイデンティティをめぐる議論の基礎となる資料

やさしい

『古事記』とは何か

『古事記』は、日本の朝廷で編纂された神話、伝説、歌、系譜の集成である。序文によれば、宮廷に仕えた太安万侶が書き記し、712年初めに元明天皇へ献上した。一般に、日本で書かれ、現存する最古の書物とされる。

『古事記』は、一続きの物語を語る。天地が分かれたときに最初の神々が現れる場面から始まり、日本列島の誕生と多くの神々の活躍を描く。その後、太陽の女神アマテラスの子孫が地上に降り、日本の統治者になるまでをたどる。末尾では、628年に亡くなった推古天皇までの天皇の系譜を記す。

この書物は、中立的な歴史書として作られたわけではない。皇室が統治する根拠や、ほかの有力氏族と皇室との関係を説明する目的があった。それでも、物語の価値は政治的な主張だけにとどまらない。古い信仰、各地の伝承、詩歌、ことばの使い方を今に伝えている。

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やさしい

神代――創造、死、太陽

上巻は、天地の始まりに高天原に現れた神々を列挙するところから始まる。神々は現れては姿を隠し、数代を経てイザナギとイザナミが登場する。二神は天の浮橋に立ち、宝石で飾られた矛で海をかき混ぜる。その先から滴った塩水がオノゴロ島となる。二神はそこで結ばれ、日本の島々と、海、川、山、風、火などの神々を生む。

火の神を産んだイザナミは大やけどを負って死に、死者の国である黄泉の国へ行く。イザナギは後を追うが、「姿を見ないで」というイザナミの言いつけを破り、朽ちた体を見て逃げ出す。そして大きな岩で黄泉の国への道をふさぐ。その後、死のけがれを落とすため川で体を洗うと、左目から太陽の女神アマテラス、右目から月の神ツクヨミ、鼻から嵐の神スサノオが生まれる。この話は、神道で重視される禊や祓いと結び付けて考えられることが多い。

スサノオは悲しみ、怒り、姉アマテラスの治める天上で乱暴を働く。田を荒らし、機織りの建物を汚されたアマテラスは、恐れ、怒って天岩戸に隠れる。世界は暗闇に包まれる。神々は岩戸の外に集まり、神聖な木に鏡や玉を掛ける。女神アメノウズメが大胆な踊りを披露すると、神々は声を上げて笑う。気になったアマテラスは外をのぞき、鏡に映る自分の光を見る。神々に外へ引き出されると、光が戻る。スサノオは天上から追放される。

地上の出雲で、スサノオは八つの頭を持つ大蛇ヤマタノオロチを退治し、その尾から見つけた剣をアマテラスに献上する。スサノオの子孫である大国主神は、皮をむかれた因幡の白兎を助け、黄泉の国でスサノオから課された試練を生き延び、国を造る。最後に天つ神は、アマテラスの子孫へ国を譲るよう大国主神に求める。大国主神は大きな社を建てることを条件に同意する。この話は出雲大社と結び付けられることが多い。

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やさしい

天から地上へ――初期の天皇と英雄

アマテラスは孫のニニギを地上へ遣わし、鏡、曲玉、大蛇の尾から出た剣という三つの宝を授ける。これらは日本の三種の神器となった。ニニギは日向(九州)の山の頂に降り立つ。その子で「山幸彦」と呼ばれるホオリは、兄の釣り針をなくし、海神の宮殿を訪ねて海神の娘と結婚する。二人の孫が、後に神武天皇と呼ばれるカムヤマトイワレビコである。

中巻は、神武天皇が九州から大和へ向かう長い遠征で始まる。物語によれば、神武天皇はそこで皇統を開いた。数代の統治者についての短い記述に続き、西と東の敵を征服しながら故郷から遠く離れた地で死んで白い鳥になる悲劇の皇子ヤマトタケルや、神がかりとなって海を渡り、朝鮮半島の新羅へ遠征する神功皇后が登場する。中巻は応神天皇で終わる。

下巻は仁徳天皇から推古天皇までを扱う。神々との出会いは少なくなり、宮廷のできごと、恋愛、皇位継承をめぐる争い、歌が多くなる。末尾近くの天皇については、名前、宮殿、結婚、埋葬地を記す程度になる。このように『古事記』は、宇宙の神話から伝説的な歴史へ、そして成立時より数十年前で終わる簡潔な系譜へと移っていく。

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中級

成立の経緯――天武天皇、稗田阿礼、太安万侶

『古事記』の成立について知られることは、すべてその序文による。序文によれば、672年の壬申の乱を経て即位した天武天皇は、各氏族に伝わる帝紀や古い伝承である旧辞(本辞)に誤りが多いことを憂えた。そこで内容を調べて正し、当時28歳だった舎人の稗田阿礼に覚えさせた。阿礼は、一度読めば暗誦でき、一度聞けば忘れなかったという。

天武天皇は事業の完成前に亡くなった。数十年後の711年9月18日、元明天皇は太安万侶に、阿礼が覚えた内容を書き記すよう命じた。安万侶は約4か月で全3巻を仕上げ、712年正月28日に献上した。

『古事記』は、唐にならった新しい中央集権国家が、律令、奈良の都、公式の歴史書を通じて自らの姿を定めようとした大きな取り組みの一部だった。わずか8年後の720年には、朝廷が全30巻の、はるかに長い歴史書『日本書紀』を完成させた。安万侶もその編纂に関わった可能性が高い。なぜこれほど近い時期に二つの書物が作られたのかは、『古事記』研究の中心的な問いである。

稗田阿礼について分かっていることは非常に少ない。「舎人」という役職に就くのは通常男性だったが、民俗学者の柳田国男や文学研究者の西郷信綱らは、阿礼が女性だった可能性を指摘した。アメノウズメを祖先とする宮廷の祭祀舞踊に関わった猿女氏の一員だったのではないか、という説もある。この問題には結論が出ていない。

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中級

漢字で日本語を書く

8世紀初めの日本語には、独自の文字体系がなかった。教養のある官人は漢文を書いていた。安万侶は、ことばも趣も日本のものである物語や名前をどう記録するかという問題に直面した。整った漢文の対句で書かれた序文で、安万侶はその方法を説明している。漢字を意味で使う場合と音で使う場合があり、一つの文の中で両方を混ぜることもあった。読み方が分かりにくいところには注を加えた。

こうして、複数の書き方を組み合わせた文章が生まれた。物語の本文は、変体漢文と呼ばれることもある、日本語化した漢文で書かれている。漢文の文法には厳密には従わず、日本語として読むことを想定した文章である。神々の名と100首を超える歌は、後に8世紀の歌集『万葉集』にちなんで万葉仮名と呼ばれるようになった方式で、一音節に一字を当てて表音的に書かれている。こうした箇所は、上代日本語の発音を知るうえで特に重要な証拠である。

本文には複数の読み方があり得るため、『古事記』を日本語でどう音読すべきかは、何世紀にもわたり議論されてきた。現代のどの校訂本にも研究に基づく復元が含まれ、翻訳の違いにも、もとのことばをどう解釈するかという判断の違いが表れている。

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中級

主な考え方――神、系譜、清浄、歌

神。『古事記』は、祖先、自然の力、場所、物などにかかわる神々が息づく世界を描く。神々は強い力を持つが、すべてを知っているわけでも、道徳的に完全なわけでもない。争い、悲しみ、過ちを犯し、時には滑稽な姿も見せる。この神々の姿は、アブラハムの宗教における超越的な創造神とは大きく異なる。

系譜と正統性。系譜はこの書物の骨格である。皇室をアマテラスにつなぎ、多くの氏族を神や皇子の子孫とすることで、『古事記』は統治者を中心とする序列の中に各氏族を位置付けた。大国主神の国譲りの話は、独自の強い伝統を持つ出雲が、天つ神の系統に自ら従ったという形で、その編入を描いている。

清浄とけがれ。黄泉の国から戻ったイザナギの禊や、スサノオの乱暴な行いに見られる、清いものとけがれたものの対比は神話全体に通じ、後の神道の儀礼ともつながる。

歌と感情。恋の歌、哀悼の歌、酒宴の歌、戦いの歌などが、『古事記』に豊かな感情と詩情を与えている。物語としての技法を重視し、歴史書よりも文学作品として読む研究者もいる。編纂当時、宮廷では仏教が栄えていたにもかかわらず、『古事記』には仏教への言及がないことも注目される。

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中級

写本、長い間の軽視、再発見

『日本書紀』が朝廷で講義され、平安時代を通じて研究されたのに対し、『古事記』は長い間、二次的な書物として扱われた。奈良時代や平安時代の写本は残っていない。現存する最古の完本は、僧の賢瑜が1371~1372年に書写した真福寺本で、現在は国宝に指定されている。ほかには、神道研究を行った卜部氏に連なる系統の写本がある。

最初の版本は1644年に京都で刊行され、初めて広く読めるようになった。18世紀には、中国や仏教の影響を受けない日本本来の文化を求めた国学者たちが、『古事記』を古いことばと暮らしを最も純粋に伝える記録と考え、研究するようになった。

その代表である本居宣長(1730~1801年)は、約35年(1764~1798年)をかけて全44巻の注釈書『古事記伝』を書いた。宣長は各行の上代日本語での読み方を復元し、神話を神代の真実の記録として解釈した。また、『日本書紀』は「漢意」にゆがめられていると考え、『古事記』をより高く評価した。宣長の宗教的、国家主義的な解釈は現在の学問では受け入れられていないが、その仕事は今も『古事記』の文献学的研究の基礎となっている。

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中級

近現代の日本と東アジアにおける『古事記』

1868年の明治維新後、『古事記』と『日本書紀』の神話は、国家神道のもとで国史として学校で教えられた。天皇がアマテラスの子孫であることや、『日本書紀』が紀元前660年とする神武天皇の建国は、公式の教義となった。1913年以降、神代や初期の天皇の物語は朝廷が政治的に作り上げたものだと論じた歴史学者の津田左右吉は、1940年に著書の数冊を発禁とされ、起訴された。

こうした神話は帝国の拡大にも利用された。神功皇后による新羅征服の話は、朝鮮が古くから日本に従属していたかのように示し、日本の朝鮮支配(1910~1945年)を正当化するために使われた。現在の韓国と日本の歴史学者は、神功皇后の遠征を伝説とみなしている。とりわけ韓国の研究者は、植民地支配を支える神話として使われたことを批判してきた。一方、百済から来た王仁が漢籍を日本に伝えたという話などは、細部に時代の食い違いがあっても、朝鮮半島から実際に文化が伝わった記憶を映すものと読まれている。

1945年以降、神話を事実として歴史の授業で教えることはなくなり、研究者は『古事記』を神話、文学、イデオロギーとして自由に研究できるようになった。現在は、1882年のバジル・ホール・チェンバレンによる英訳から、1968年のドナルド・フィリッピ訳、2014年のグスタフ・ヘルト訳まで、多くの翻訳で読まれている。神々や物語は小説、漫画、アニメ、ゲーム、伊勢や出雲などの神社の祭事にも影響を与えている。2012年には成立1300年が記念された。

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上級

学術上の論争と未解決の問い

真偽。712年を扱う公式の歴史書『続日本紀』に『古事記』への言及がなく、成立の経緯を伝える資料も序文だけであることから、近世以来、序文、あるいは書物全体が9世紀などの後世に作られたのではないかと疑う研究者がいた。しかし、大半の専門家は偽書説を退けている。本文には、712年の後まもなく失われた「モ」の二種類の音の区別を含め、上代日本語の古い表記上の区別が残る。また1979年には奈良の茶畑で太安万侶の銅製墓誌が発見され、安万侶が723年に亡くなった実在の官人であることが確認された。

二つの神話か、一つの神話か。『古事記』と『日本書紀』には重なる物語があるが、語り方は異なる。『日本書紀』はしばしば「一書に曰く」として複数の異伝を載せる。かつての研究では、両書の話を合わせて一つの「日本神話」とみなす傾向があった。一方、神野志隆光らは、それぞれの書物が異なる目的に応じて独自の一貫した神話世界を築いているとして、別々に読むべきだと論じている。

歴史か、神話か。津田以降、多くの歴史学者は神代と最初期の天皇を政治的な神話として扱っている。後の天皇の記述に実際の歴史の記憶がどこまで残るかは議論が続く。中国や朝鮮の記録との比較、巨大な古墳の考古学的証拠、5世紀の刀剣の銘文などが、どの部分に歴史的情報が含まれるかを判断する手がかりとなる。

神話の源流と比較。研究者は『古事記』の神話を、朝鮮、中国、東南アジア、太平洋地域、ユーラシアの神話と比較してきた。たとえば、イザナギの黄泉の国への旅とギリシャのオルフェウスの物語の比較がある。こうした類似が、伝播、共通の起源、人間に広く見られる物語の型のどれによるものかは、なお解明されていない。

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証拠と研究方法

文献学。『古事記』の研究は本文の検討から始まる。写本を比較し、漢字を複合的に用いた文章の読みを復元し、表音的に記された歌や名前から上代日本語を復元する。一定した表記の違いに現れる上代日本語の八母音体系の発見は、本文の年代判定と解釈にとって重要だった。

歴史的背景。研究者は、唐風の国家の建設、氏族間の対立、新羅や唐との関係など、天武天皇、持統天皇、元明天皇の時代の政治状況に照らして『古事記』を読む。奈良や藤原宮の遺跡から出土した木簡は、7世紀末の官人が実際にどのように日本語を書いたかを示し、『古事記』の表記を理解する助けとなる。

宗教学と人類学。研究者は神話を神道の儀礼、神社の伝承、民間伝承と比較する。その際、現代の神道が8世紀の信仰をそのまま受け継いでいると決め付けないよう注意する。

受容史。現在は、『古事記』がどう読まれてきたかを扱う研究も多い。中世の神道思想家、本居宣長、近代国家、戦後の研究者はそれぞれ異なる読み方をした。この書物の意味が常に読者によって形づくられてきたことは、古典がどのように国を代表する書物になるかを考えるうえでも重要である。

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重要なポイント

神
自然、祖先、場所などにかかわる神聖な存在。神話の中では強い力を持つが、過ちも犯す。
天孫降臨と皇統
皇室が、ニニギと神武天皇を通じて太陽の女神アマテラスの子孫であるという主張。
秩序を示す系譜
氏族を神々や皇子と結び付け、統治者を中心とする序列の中に各氏族を位置付けた。
祓いと禊
死や悪い行いによるけがれを洗い清めること。神道の儀礼と結び付く主題。
複合的な表記
仮名ができる前に、漢字を意味と音の両方で使って日本語を記した方法。
神話とイデオロギー
『古事記』は8世紀の国家の正統性を支え、近代の国家主義にも再利用された。
口承から文字へ
序文では、稗田阿礼が覚えて語った伝承を書き記したものとして、この書物の成立が説明される。

記録

  1. 672年 — 天武天皇が壬申の乱に勝って即位し、後に帝紀や旧辞の訂正を命じる。
  2. 681年頃 — 天武天皇の朝廷で歴史書の編纂事業が始まり、後に『日本書紀』として完成する。
  3. 710年 — 都が平城京(奈良)に移る。
  4. 711年 — 元明天皇が太安万侶に、稗田阿礼の覚えた内容を記録するよう命じる。
  5. 712年 — 太安万侶が全3巻の『古事記』を元明天皇に献上する。
  6. 720年 — 『日本書紀』が完成する。
  7. 723年 — 墓誌によれば、太安万侶が亡くなる。
  8. 1371年 — 僧の賢瑜が、現存最古の写本である真福寺本の書写を始める(1372年まで)。
  9. 1644年 — 最初の版本が京都で刊行される。
  10. 1798年 — 本居宣長が『古事記伝』を完成させる。
  11. 1882年 — バジル・ホール・チェンバレンが初の全訳英語版を刊行する。
  12. 1979年 — 奈良で太安万侶の銅製墓誌が発見される。

用語集

神
自然の霊、祖先、神としてまつられた人などを含む、日本の信仰における神聖な存在。
高天原
天上の神々が住む領域。
黄泉の国
『古事記』に登場する死者の国。
三種の神器
アマテラスがニニギに授けたとされる鏡、玉、剣。
万葉仮名
漢字の音を使って日本語の音節を書き表す方法。
日本書紀
720年に完成した公式の歴史書。
国学
古代の日本の文献を研究し、日本本来の文化を見いだそうとした江戸時代の学問。
舎人
朝廷で仕えた近侍。
帝紀と旧辞
序文によれば、『古事記』のもとになった、天皇の系譜と古い伝承。
国家神道
1868年から1945年にかけて、近代日本の国家が神道と皇室の神話を国家のイデオロギーとして利用した仕組み。

よくある質問

『古事記』は宗教の聖典ですか。

厳密には違います。戒律や教えを記した本ではありませんが、その神話は神道の中心となり、登場する多くの神々が神社でまつられています。

『古事記』を書いたのは誰ですか。

序文によれば、太安万侶が711~712年に、天武天皇の命で稗田阿礼が覚えた伝承を書き記しました。

『古事記』は本当の歴史ですか。

歴史学者は、神代と最初期の天皇の話を、政治的な目的で作られたり形づくられたりした神話や伝説と考えています。後の部分には、実際の歴史の記憶が含まれる可能性があります。

『古事記』と『日本書紀』はどう違いますか。

『古事記』(712年)は短く、皇統を中心に、より日本語に即した文体で書かれています。『日本書紀』(720年)は漢文による、より長い公式の歴史書で、年代順に構成され、同じ神話の異なる伝え方をいくつも載せることがあります。

太陽の女神はなぜ洞くつに隠れたのですか。

弟のスサノオの乱暴な行いに恐れ、怒ったからです。光が戻ることを説明する物語で、太陽の力を新たにする儀礼を反映している可能性もあります。

『古事記』は後世に作られた偽書かもしれませんか。

そう主張した研究者は少数います。しかし、ことばに古い特徴が残ることや、1979年に安万侶の墓誌が見つかったことから、多くの専門家は8世紀初めの作品と認めています。

『古事記』が韓国で議論を呼ぶのはなぜですか。

神功皇后が新羅を征服したという伝説が、近代に日本の朝鮮植民地支配を正当化するために使われたからです。歴史学者はこの話を伝説とみなしています。

言語学者にとって『古事記』が重要なのはなぜですか。

音を表す文字で書かれた歌や名前が、およそ1300年前の日本語の発音を知るための重要な手がかりだからです。

出典・参考文献

  1. Kojiki. Wikipedia
  2. 고사기. 위키백과
  3. Ō no Yasumaro. Wikipedia
  4. Hieda no Are. Wikipedia
  5. Nihon Shoki. Wikipedia
  6. Motoori Norinaga. Wikipedia
  7. Man'yōgana. Wikipedia
  8. Mark Cartwright, Kojiki: Japan’s Oldest Book. World History Encyclopedia, 2017
  9. Donald L. Philippi, Kojiki (translated with an introduction and notes). University of Tokyo Press, 1968
  10. Gustav Heldt (trans.), The Kojiki: An Account of Ancient Matters. Columbia University Press, 2014

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上記の公開資料をもとにAIの支援を受けて執筆し、新たな研究に応じて改訂しています。

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