最初はやさしい入門です。下に進むほど詳しい説明や研究内容を読めます。
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子ども向け
約650年前、イランのシーラーズという町に、ハーフェズという詩人が住んでいました。シーラーズは庭園やバラで有名です。ハーフェズの本当の名前はムハンマドでした。子どものころにクルアーンを全部覚えたので、人々は「覚えている人」という意味のハーフェズと呼びました。
ハーフェズは「ガザル」という詩を書きました。ガザルは、二行ずつのまとまりをいくつか並べた短い詩です。歌のように、決まった音で韻を踏みます。最後の二行に、自分の名前を入れることもあります。絵にサインをするようなものです。
詩には、バラやナイチンゲール、美しい顔、酒、音楽、大好きな人に会えない寂しさが出てきます。でも、詩に出てくる「愛する人」は神のこと、「酒」は神を身近に感じる喜びのことだと考える人もいます。一つの詩から、読む人によって違う意味が見つかります。
ハーフェズは、信心深そうに見せながら、実は自慢したり人に冷たくしたりする人を、詩でからかいました。立派に見せることより、正直で思いやりのある心が大切だと考えたのです。
今のイランでは、ハーフェズの詩集を持っている家がたくさんあります。冬のいちばん長い夜などに、家族で本を適当に開き、そこにある詩を助言のように読むこともあります。シーラーズにあるハーフェズの墓を訪れ、そこで詩を読む人もいます。
ひと目でわかる
- 生涯
- 1315~1325年ごろにシーラーズで生まれ、1389年または1390年に同地で死去(イスラーム暦792年とする記録が最もよく引用される)
- 名前
- ホージャ・シャムスッディーン・ムハンマド。筆名のハーフェズは「クルアーンを暗記した人」の意味
- 言語
- ペルシア語(一部にアラビア語の詩句がある)
- 主な作品
- 約500編のガザルとその他の詩を収めた詩集『ディーワーン』。死後に編纂された
- 詩形
- ガザル。韻を踏む二行連句からなる短い抒情詩で、最後の連句に詩人の名を入れる
- 庇護者
- インジュー朝とムザッファル朝のシーラーズの君主たち。特にアブー・イスハークとシャー・シュジャー
- 称号
- リサーン・アルガイブ(「不可視界の舌」)、タルジュマーン・アルアスラール(「神秘の解釈者」)
- 墓所
- シーラーズのハーフェズ廟。現在の建物はアンドレ・ゴダールの設計(1935~1940年)
やさしい
ハーフェズとはどんな人か
ハーフェズはペルシア語のガザルを代表する詩人と広くみなされている。多くのイラン人にとっては、英語圏におけるシェイクスピアのように愛され、引用される国民的詩人でもある。詩集『ディーワーン』は、イランでクルアーンに次いで広く家庭に置かれている本と考えられ、その詩はイラン、アフガニスタン、タジキスタン、南アジア、旧オスマン帝国圏の詩、音楽、日常の言葉に影響を与えた。
本名はシャムスッディーン・ムハンマド。「ハーフェズ」はクルアーン全体を暗記した人に与えられる称号で、詩人はこれをタハッルス、つまり筆名として用いた。ある詩では、クルアーンを伝統的な14通りの読誦法で知っていると述べている。敬称のホージャは、学識ある尊敬すべき人物を示す。
生涯のほとんどを、イラン南西部ファールス地方の中心都市シーラーズで過ごした。シーラーズは庭園の多い豊かな町で、詩人たちでも知られていた。13世紀には大詩人サアディーもここに住んだ。同時代の多くの詩人と違い、ハーフェズはあまり旅をしなかったらしい。詩の中では、シーラーズのそよ風、ロクナーバードの流れ、モサッラーの庭園をたたえている。
ハーフェズは宗教にも通じていた。詩にはクルアーンやイスラーム思想への言及が多い一方、酒、愛、自由を賛美し、宗教的な偽善を笑う。この組み合わせが、長く愛され、さまざまに読まれてきた理由の一つである。
やさしい
ガザルとは何か
ガザルは短い抒情詩で、通常はバイトと呼ばれる二行連句が5~15組ほど並ぶ。すべての連句は同じ韻律を持ち、末尾で同じ韻を踏む。韻の後に、ラディーフという同じ語句が繰り返されることも多い。最初の連句では二行とも韻を踏んで型を示し、最後の連句には通常、詩人の筆名が入る。ハーフェズは最後の連句で、まるで自分自身や読者に話しかけるように、自分の名を呼ぶことが多い。
ガザルはアラビア語の恋愛詩からペルシア語の詩に取り入れられ、サナーイー、アッタール、ルーミー、サアディーらの手で何世紀もかけて発展した。ハーフェズの時代には、バラとナイチンゲール、ろうそくと蛾、愛する人の巻き毛と黒子、酌人(サーキー)と酒場、禁欲者と放蕩者といった、豊かな共通のイメージができあがっていた。
ガザルの各連句は、糸に通された一粒の宝石のように、それぞれある程度独立している。ハーフェズは、一つ一つの連句に鮮やかで豊かな意味を込めたこと、言葉の音楽性、連句どうしが移り変わりながら響き合うさまで称賛された。最も有名な詩の一つは、「あのシーラーズのトルコ人が私の心を手にしてくれるなら、その黒子のためにサマルカンドとブハラを差し出そう」という趣旨の言葉で始まる。
ハーフェズの詩を翻訳するのは、とりわけ難しい。ペルシア語の単語が複数の意味を同時に帯びるうえ、原文の響き、韻、リズム、言葉遊びが詩の効果に欠かせないからだ。そのため、互いに大きく異なる翻訳が数多くあり、原文に取って代わるものはない。
やさしい
ハーフェズの時代のシーラーズ――詩人と交代する君主
ハーフェズが生きたのは動乱の時代だった。1330年代にイランのモンゴル系イルハン朝が崩壊すると、地方の王朝が権力を争った。シーラーズを最初に支配したインジュー家の最後の君主アブー・イスハークは、詩人を厚く庇護し、楽しみを好んだ。ハーフェズはその治世を懐かしく振り返っている。
1353年、ムザッファル朝を興したムバーリズッディーン・ムハンマドがシーラーズを征服した。厳格な君主で、宗教法を厳しく守らせ、酒場を閉じ、飲酒を罰した。多くの読者は、ハーフェズが詩でからかう風紀監督官ムフタスィブの姿に、この君主を見いだしている。1358年には、息子のシャー・シュジャーが父を廃位して失明させた。シャー・シュジャーは1384年まで統治し、文化を愛する庇護者となった。ハーフェズとの関係は親しかったようだが、ときに緊張もあったらしい。
晩年には中央アジアの征服者ティムールの脅威が迫った。ティムールは1387年と1393年にシーラーズを占領し、二度目の占領でムザッファル朝を滅ぼした。ハーフェズは二度の占領の間にあたる1389年または1390年に亡くなった。彼の詩には、庇護者が次々に変わり、寵愛を得るのも失うのも早く、信仰と権力が密接に絡み合った世界が映っている。
中級
生涯――わかっていることと伝説
ハーフェズの生涯について、確かな事実は少ない。同時代の伝記はなく、最初期の記述も死後数十年、あるいは数百年を経て書かれた。研究者は主に、君主、役人、出来事に触れた本人の詩と、友人とされるムハンマド・グーランドームに帰せられる『ディーワーン』の序文から生涯を再構成している。その序文によれば、ハーフェズ自身は詩をまとめず、グーランドームが死後に編纂したという。ただし、序文の成立時期やグーランドームの正体には疑問も出されている。
後世の伝承は、記録の空白を物語で埋めている。父はエスファハーンからシーラーズへ移った商人で、ハーフェズが幼いころに亡くなり、少年は勉強しながらパン屋で働いたという。また、シャーヘ・ナバート(「砂糖菓子の枝」)という美しい女性への恋や、40日間の祈りによって詩の才能を授かったという話もある。これらを事実と確認することはできない。
別の伝承では、インドのデカン地方にあるバフマニー朝の宮廷に招かれて旅立ったものの、ホルムズの港で嵐を恐れて引き返し、代わりに詩を送ったという。最も有名な逸話は、15世紀後半に伝記作者ダウラトシャー・サマルカンディーが記したティムールとの面会である。征服者は、自分の大都市サマルカンドとブハラを恋人の黒子のために差し出すとは何事か、と詩人を責めた。ハーフェズは、そのような気前のよさのせいでこれほど貧しくなったのだ、と答え、ティムールを笑わせたという。歴史家はこの面会を伝説とみなしている。
詩からは、ハーフェズが宮廷で何らかの地位に就き、クルアーンを教えていた可能性や、結婚して若くして亡くなった息子がいたこと、寵愛された時期と顧みられなかった時期があったことがうかがえる。それ以上の伝記の大部分は、詩の解釈に基づいている。
中級
主題――愛、酒、放蕩者、偽善者
ハーフェズの詩の中心には愛がある。愛する人の美しさ、別離の苦しみ、再会への希望が歌われる。愛する人の性別はたいてい示されず、人間の恋人、庇護者、神のいずれとも読める。酒と酒場は喜び、自我を忘れること、世間体からの自由を表す。スーフィズムの伝統では、神への愛に酔いしれる精神的な陶酔も象徴する。
中心的な人物像の一つがレンドで、「放蕩者」などと訳される。世間の評判を気にせず、公然と酒を飲み恋をするが、心は誠実な人物だ。その対極にいるのは、禁欲者(ザーヒド)、説教師、信仰心を見せびらかすスーフィー、風紀監督官ムフタスィブである。ハーフェズは偽善的な聖人よりも正直な罪人を繰り返したたえる。もう一人の重要な人物が「マギ教徒の長老」を意味するピーレ・モガーンで、賢い精神的導き手として描かれる酒場の主人である。
ハーフェズは運命、時の流れ、人間の知識の限界についても思いを巡らせる。人生は短く、天の計らいは知りえないのだから、春や酒を楽しみ、今を大切にせよと詩はしばしば呼びかける。同時に、人間の努力や学識よりも尊いものとして、神の恩寵への希望を示す。
こうした人物像を初めて用いたのはハーフェズではない。サアディーをはじめ、アッタールやルーミーなどの神秘主義詩人、同時代のシーラーズにいたハージュイェ・ケルマーニーや風刺詩人オベイド・ザーカーニーから受け継いだものだ。ハーフェズを際立たせたのは、凝縮された言葉と、慣れ親しんだイメージを互いに響き合わせて突然新たな意味を浮かび上がらせる手腕だった。
その詩の力は多義性にある。一つの連句を、恋愛詩、宮廷政治への言及、宗教役人への風刺、神秘的な思索として同時に読むことができる。ハーフェズがそうした意味を一つに決めることはめったになく、その開かれた表現が、読者それぞれに自分自身を詩の中に見いださせる。
中級
『ディーワーン』――写本と校訂版
ハーフェズの詩は生前から歌われ、書き写されて流布し、死後に『ディーワーン』としてまとめられた。中心となるのはガザルで、真正な作品と一般に認められるものは500編未満である。このほか、少数のカスィーダ(頌詩)、マスナヴィー、キトア(折々の詩)、ルバーイー(四行詩)が収められている。信頼できる最古の写本は、死後数十年を経た15世紀のものである。
『ディーワーン』は繰り返し書き写されたため、約1700点の写本が残り、その内容には大きな違いがある。ハーフェズの名の下に詩が加えられ、連句の順序も異なり、多くの語に異読がある。真正な本文を定めることは、研究上の大きな課題である。
現代の校訂版で最も影響力の大きいものは、初期の写本に基づいてムハンマド・ガズヴィーニーとガーセム・ガニーが1941年に出版した版で、495編のガザルを収める。より多くの初期写本を用いたパルヴィーズ・ナーテル=ハーンラリーの版(1980年刊、1983年改訂)は486編を収める。バハーオッディーン・ホッラムシャーヒーの広く使われる注釈書『ハーフェズ・ナーメ』など、ほかの版や注釈も本文の解明と修正を続けている。オスマン帝国圏では、16世紀のボスニア出身のスーディーによる注釈が大きな影響力を持った。
イランでは『ディーワーン』は「ファーレ・ハーフェズ」という書物占いにも使われる。願い事をしたり質問を思い浮かべたりして本を無作為に開き、現れた詩を解釈する習慣だ。特に冬至の夜であるヤルダーと、ペルシアの新年ノウルーズに盛んに行われる。イランでは今も、訓練した鳥に詩を選ばせることもある街頭の占い師が、ハーフェズによる占いを提供している。
中級
世界各地への影響と受容
オスマン帝国からムガル帝国期のインド、中央アジアまで広がったペルシア語文化圏で、ハーフェズは抒情詩の模範となった。後世の詩人たちはそのガザルを模倣し、応答する詩を書き、書家や画家は詩を装飾した。ムガル帝国の皇帝たちも、吉凶を占うために『ディーワーン』を開いたと伝えられる。南アジアでは、ガーリブらのウルドゥー語ガザルや、ムハンマド・イクバールのペルシア語・ウルドゥー語の詩に影響が見られる。
ハーフェズは日常生活にも息づいている。イラン人は連句をことわざのように引用し、児童は詩を暗記する。そのガザルはペルシア古典音楽の重要な曲目で、モハンマドレザー・シャジャリアーンのような巨匠から大衆歌手までが歌ってきた。詩句はタイル、じゅうたん、ポスターにも書かれ、『ディーワーン』は結婚式や新年の贈り物として親しまれる。死後600年を経てなお、これほど普通の人々の言葉や習慣の中に生き続ける詩人は少ない。
ヨーロッパでは、ウィリアム・ジョーンズが1771年に発表した『ハーフェズのペルシアの歌』によって紹介された。ヨーゼフ・フォン・ハンマー=プルクシュタールによる1812~1813年のドイツ語全訳はゲーテを深く動かした。ゲーテはハーフェズと対話するような詩集『西東詩集』(1819年)で応えた。ゲーテを通じて、ハーフェズはドイツ・ロマン主義や後世の作家、作曲家に影響を与えた。アメリカではラルフ・ウォルドー・エマーソンがその詩を称賛して翻訳し、ガートルード・ベルによる英訳(1897年)なども続いた。
ダニエル・ラディンスキーによるものなど、現代英語で人気のあるハーフェズの「翻案」は広く売れている。しかし研究者は、それらはハーフェズの詩の翻訳ではなく、自由な創作だと指摘する。その人気はハーフェズの名が持つ魅力を示しているが、実際の詩人に触れたい読者には、ペルシア語の原文に基づく翻訳が適している。
イランのシーラーズにある墓廟、ハーフェズ廟は、詩を愛する人々が訪れる場所である。最初の記念建造物は1452年にティムール朝の王子バーブル・ミールザーが建て、1773年にはカリーム・ハーン・ザンドがより大きな建物を建てた。八本の柱と、ダルヴィーシュの帽子をかたどった銅製のドームを持つ現在の建物は、フランス人建築家アンドレ・ゴダールが設計し、1935~1940年に建てられた。イラン暦のメフル月20日(およそ10月11~12日)は「ハーフェズの日」として祝われる。
上級
論争――神秘主義の詩人か、現世の詩人か
ハーフェズをめぐる最も古く、長く続く問いは、その酒と愛をどう読むかである。スーフィーや多くのペルシア語注釈者に根強い伝統では、詩を神秘主義的な寓意として読む。愛する人は神、酒は神への愛、酒場はスーフィーが集う場、放蕩者は世俗の評判を捨てた真の愛の実践者となる。「不可視界の舌」「神秘の解釈者」という称号は、ハーフェズを隠された真理の代弁者とする見方を表している。
別の伝統では、実際の恋愛と酒を歌い、宗教的権威をからかった懐疑的、あるいは人間主義的な詩人として、より文字どおりに読む。オスマン帝国では、スーディーの注釈は、より神秘主義的な注釈者とは対照的に、文字どおりに読む傾向があった。敬虔なムスリムがその詩を読んでよいかどうかも、さまざまな時代に議論された。現代のイラン人読者は、ハーフェズをスーフィーの聖者、自由思想家、愛国者、圧政の批判者など、さまざまに捉えてきた。
今日、多くの研究者は、この二者択一は適切でないと考える。ガザルの伝統は、恋愛、宮廷、神秘主義の言葉を意図的に融合させ、同じイメージが複数の意味で働くようにした。ハーフェズはこの多義性を並外れた巧みさで生かす。一つの意味に決めないこと自体が芸術の一部であり、外面的な規則より誠実さと恩寵を重んじる宗教観の一部かもしれない。ハーフェズを深く読むには、どれか一つを選ぶのではなく、意味の層をともに捉える必要がある。
上級
研究上の問い――詩の統一性、本文、歴史
ガザルの統一性。18世紀以来、西洋の読者は、ハーフェズのガザルの連句どうしに論理的なつながりが見えにくいことに戸惑ってきた。1940年代、イギリスの東洋学者A・J・アーベリーは、その詩には独自の主題と形式の統一性があると論じた。後の研究者たちは、イメージ、音、論の展開を分析してこの見方を発展させた。一方、ペルシア語ガザルで意味の基本単位となるのは詩全体ではなく連句であり、西洋の詩のような統一性を期待すべきでないとする研究者もいる。
本文。写本間の違いが大きいため、どの詩が真正か、どの語の読みが原形か、連句をどの順序に置くべきかという校訂上の判断が、あらゆる解釈に影響する。ガズヴィーニーとガニーの版、ハーンラリーの版は15世紀の写本を重視して大きく研究を進めたが、議論は続いており、新たな写本や計算機を用いた手法も検討に加わっている。
歴史と伝記。研究者は詩に登場する君主、宰相、出来事を特定して成立年代を推定し、ハーフェズの詩風の変化や庇護者との関係をたどろうとしてきた。この方法は有益な成果をもたらした一方、同じ詩を使って伝記を再構成するため、推論が循環する危険もある。ダウラトシャーのような後世の伝記集にある伝説は、ハーフェズの実人生よりも、後世の人々が彼をどう記憶したかをよく伝えている。
受容史。オスマン帝国の注釈やムガル帝国の画帖から、ゲーテ、イランの国民主義、現代の大衆向け翻案に至るまで、異なる文化でハーフェズがどう読まれ、用いられ、翻訳されたかを研究する分野も発展している。この意味で「ハーフェズ」とは、14世紀の一詩人であると同時に、600年にわたる対話でもある。
重要なポイント
- ガザル
- 愛や憧れを歌う、韻を踏む二行連句からなる短い抒情詩。ハーフェズはペルシア語のガザルを高い完成度に導いた。
- 多義性
- 詩のイメージを、人間への愛、宮廷政治、神秘的な信仰として同時に読むことができる。
- レンド(放蕩者)
- 世間体を気にしない誠実な人物。偽善的な禁欲者や風紀監督官と対置される。
- 偽善への批判
- ハーフェズは高慢さや権力欲を隠す見せかけの信心を笑い、正直な心と神の恩寵を尊ぶ。
- 酒と酒場
- 喜びと自由の象徴。スーフィーの解釈では、神への愛による陶酔も表す。
- ファーレ・ハーフェズ
- 助言を求めて『ディーワーン』を無作為に開く習慣。特にヤルダーやノウルーズにイランで行われる。
- 本文をめぐる難題
- 内容の異なる写本が何百点もあり、真正な『ディーワーン』の本文を定める研究が続いている。
記録
- 1315年頃 — ハーフェズがシーラーズで生まれる(推定は1315年ごろから1325年ごろまで幅がある)。
- 1343年頃 — アブー・イスハーク・インジューがシーラーズの君主となり、詩人を庇護する。
- 1353年 — ムザッファル朝の創始者ムバーリズッディーン・ムハンマドがシーラーズを占領し、厳格な宗教統治を行う。
- 1358年 — シャー・シュジャーが父を廃位して失明させ、ハーフェズを庇護することになる治世を始める(1384年まで)。
- 1387年 — ティムールが初めてシーラーズを占領する。
- 1390年頃 — ハーフェズがシーラーズで死去する(1389年または1390年)。友人グーランドームが『ディーワーン』を編纂したと伝えられる。
- 1452年 — ティムール朝の王子バーブル・ミールザーが、ハーフェズの墓に最初の記念建造物を建てる。
- 1771年 — ウィリアム・ジョーンズが『ハーフェズのペルシアの歌』を発表し、英語の読者にハーフェズを紹介する。
- 1812年 — ヨーゼフ・フォン・ハンマー=プルクシュタールによる『ディーワーン』のドイツ語訳が刊行される(1813年まで)。
- 1819年 — ゲーテがハーフェズに着想を得た『西東詩集』を刊行する。
- 1935年 — アンドレ・ゴダールが設計した現在のハーフェズ廟の建設が始まる(1940年ごろ完成)。
- 1941年 — ガズヴィーニーとガニーが『ディーワーン』の校訂版を刊行する。
用語集
- ディーワーン
- 詩人の作品を集めた詩集。通常は詩形や韻によって配列される。
- ガザル
- 韻を踏む二行連句からなる短い抒情詩。愛を主題とすることが多い。
- バイト
- 二行連句。ペルシア詩の基本単位。
- タハッルス
- 詩人の筆名。通常、ガザルの最後の連句に置かれる。
- ラディーフ
- 各連句の末尾で、韻の後に繰り返される語句。
- サーキー
- 酒を注ぐ酌人。ガザルによく登場する人物。
- レンド
- 放蕩者、または世間の慣習に従わない人。ハーフェズの詩では、偽善者に対置される誠実な愛の実践者。
- ムフタスィブ
- イスラーム都市で公衆道徳や公正な商取引を監督した役人。
- スーフィズム
- 神を直接愛し、知ることを求めるイスラームの神秘主義的伝統。
- ヤルダー
- 冬至にあたる、一年で最も長い夜を祝うイランの行事。
よくある質問
なぜハーフェズと呼ばれるのですか。
ハーフェズは、クルアーンを全部暗記した人の称号です。詩人もクルアーンを暗記し、この言葉を筆名にしました。
ハーフェズは本当の酒について書いたのですか。それとも神についてですか。
どちらの読み方にも長い歴史があります。多くの研究者は、複数の意味で同時に読めるイメージを意図的に用いたと考えています。そのため、同じ詩を恋愛詩としても精神的な詩としても読めます。
ファーレ・ハーフェズとは何ですか。
ハーフェズに助言を求める方法です。願い事をして『ディーワーン』を無作為に開き、出てきた詩を答えとして読みます。イランの家族はヤルダーの夜によく行います。
ハーフェズは本当にティムールに会ったのですか。
おそらく会っていません。有名な話が初めて現れるのは、ハーフェズの死から約100年後に書かれた伝記です。歴史家は伝説とみなしています。
ハーフェズは詩を何編書きましたか。
現代の校訂版では、ガザル500編弱と、少数のほかの詩が認められています。後世の写本では、さらに多くの詩がハーフェズの作とされました。
ハーフェズの翻訳はなぜ大きく違うのですか。
原文のペルシア語には、訳しきれない複数の意味、言葉遊び、音楽性があり、写本の内容も異なるためです。人気のある英語の本の中には、翻訳ではなく自由な創作もあります。
ハーフェズの生涯について、どれほど確かなことがわかっていますか。
確かなことは多くありません。同時代の伝記はなく、研究者は本人の詩、グーランドームの序文、伝説を多く含む後世の記述を手がかりにしています。
出典・参考文献
- Hafez. Wikipedia
- Divan of Hafez. Wikipedia
- Ghazal. Wikipedia
- Muzaffarids (Iran). Wikipedia
- Tomb of Hafez. Wikipedia
- West–östlicher Divan. Wikipedia
- A. J. Arberry, Fifty Poems of Hafiz. Cambridge University Press, 1947
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上記の公開資料をもとにAIの支援を受けて執筆し、新たな研究に応じて改訂しています。
