文学

シュルッパクの教訓

紀元前2600–2500年頃 · アブ・サラビーフ(シュメール)

ひとことで

『シュルッパクの教訓』は、シュメール人の父親が息子に授ける知恵を粘土板に記した、約4500年前の文書で、現存する世界最古級の文学作品の一つです。

シュルッパクの教訓
画像: Daderot · CC0 · Wikimedia Commons

最初はやさしい入門です。下に進むほど詳しい説明や研究内容を読めます。

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子ども向け

おじいさんやおばあさんがあなたをそばに呼んで、「人生で学んだ大切なことを話すよ」と言う場面を想像してください。この古い文章も、そんなお話です。シュルッパクという賢い父親が、息子にたくさんの助言をします。

この文章は、今のイラク南部にあったシュメールで書かれました。そこでは、人々がとても早い時代に文字の書き方を生み出しました。紙のかわりに、やわらかい粘土に葦の先を押しつけ、小さなくさび形のしるしをつけました。粘土を乾かすと、かたい板になります。この文字を、くさび形文字といいます。

畑仕事についての助言もあります。道のすぐそばに畑をつくると人に踏まれてしまう。畑の真ん中に井戸を掘ると人が来て畑を傷めてしまう。よく鳴くロバは買わないほうがよい、というものです。

よい人になるための助言もあります。盗みをしない、人の家に押し入らない、お母さんに失礼なことを言わない、言葉に気をつける、人の借金を自分が払うと約束しない、などです。

お話に出てくる息子はジウスドラです。別のシュメールのお話では、ジウスドラは大きな船をつくり、大洪水を生きのびます。聖書に出てくるノアに少し似ています。つまり、この助言は、ずっと昔の「洪水の前」から伝わったものとして語られているのです。

いちばん古い写しは約4500年前のものです。その後も、学校の生徒たちが何百年ものあいだ書き写しました。昔の子どもたちは、今あなたが読めるのと同じ助言を書き写して、文字を練習したのです。

ひと目でわかる

種類
知恵文学。父親が息子に教える形で、ことわざや守るべき教えを集めた作品
言語
シュメール語。粘土板にくさび形文字で記され、のちにアッカド語版もつくられた
最古の写し
初期王朝時代第III期、紀元前2600~2500年ごろ。イラク南部のアブ・サラビーフとアダブで出土
最もよく知られる版
古バビロニア時代(紀元前1900~1700年ごろ)に書記学校で書き写された版。現代の復元では300行弱
語り手と聞き手
ウバラ・トゥトゥの息子シュルッパクが、シュメールの洪水伝説の主人公である息子ジウスドラに教える
内容
農業、財産、隣人についての実用的な助言と、盗み、言葉遣い、家族、性に関する行いについての教え
重要性
現存する世界最古級の文学作品の一つで、「教訓」という文学形式の最古の例

やさしい

『シュルッパクの教訓』とは?

『シュルッパクの教訓』は、短い助言を集めたシュメール語の作品です。賢い老人シュルッパクが息子ジウスドラに語りかけ、農業、家の切り盛り、隣人との付き合い方、ふるまい方を教える形で書かれています。現代の研究者は、神々や英雄の物語を語る代わりに、暮らしに役立つ知識や道徳を伝える「知恵文学」に分類しています。

この作品が有名なのは、その古さのためです。最古の写しは、メソポタミア南部(現在のイラク南部)のシュメールで、紀元前2600~2500年ごろの初期王朝時代第III期に書かれました。世界のどこを見ても現存する文学作品として最古級であり、現存する最初期の『ギルガメシュ叙事詩』の諸版より数世紀、ハンムラビ法典より千年近く古いものです。

この作品は長く読み継がれました。成立後、何度も書き写され、改訂されて長くなったシュメール語版は、紀元前1900~1700年ごろの古バビロニア時代に書記学校の定番教材となりました。メソポタミアの主要なセム語であるアッカド語の版の断片からは、紀元前2千年紀の後半にも知られていたことが分かります。

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やさしい

何が書かれている? 畑、家、心についての助言

作品は、はるかな過去を思わせる厳かな語り口で始まります。古バビロニア時代の版は、おおよそ「そのころ、はるか遠いころ。その夜々、はるか遠い夜々。その年々、はるか遠い年々……」と始まります。続いて、息子ジウスドラに教えを授けた賢いシュルッパクが登場し、「息子よ、お前に教えを授けよう。私の教えを受け取りなさい」と語り始めます。

助言の多くは実用的で、村や農地での暮らしに根ざしています。父親は、鳴き声の大きいロバを買わないこと、道のそばに畑をつくらないこと、自分の畑に井戸を掘るとほかの人が畑を傷めるので掘らないこと、人が集まる広場の隣に家を建てないことを息子に教えます。こうした言葉から、財産、水、家畜、他人の近くで暮らすことに伴う問題を、人々が気にかけていたと分かります。

ほかには、ふるまいや道徳についての教えがあります。盗みや住居への侵入、暴力を避けること、他人の借金の保証人にならないこと、母親に傲慢な口をきかないこと、ビールを飲みながら人を裁かないこと、言葉に気をつけることなどです。既婚女性との関係など、不適切な性的行為を戒める言葉もあります。また、愛情のある心は家庭を結びつけ、憎しみのある心は家庭を壊す、という家族についての教えもあります。

個々の助言の大半は、わずか一~三行です。現代の実用書のように話題別には並んでいません。農業の次に言葉遣い、その次に奴隷や隣人の話が続くこともあります。読むと、話題を次々に変えながら、いつも真剣に語る祖父母の話を聞いているように感じられます。

多くの助言には理由が添えられています。父親は単に「してはいけない」と命じるのではなく、そうすると何が起こるかを説明します。畑を傷められる、借金を保証した相手に縛られる、自分の言葉を逆手に取られる、といった具合です。理由を示す語り方からは、命令の一覧というより、経験を積んだ人の声が聞こえてきます。

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やさしい

シュルッパクとジウスドラは何者?

シュルッパクは、ユーフラテス川の旧流路沿いに実在したシュメールの都市の名前でもあり、現在はテル・ファラとして知られています。メソポタミアの伝承では、大洪水より前に王がいた都市の一つでした。作品に登場する父親はこの都市と同じ名を持ち、洪水前に統治した最後の王として『シュメール王名表』に現れるウバラ・トゥトゥの息子とされています。

その息子ジウスドラは、シュメールの洪水伝説の主人公です。別のシュメール語の物語では、神々が人類を滅ぼす洪水を起こそうとしますが、ジウスドラは警告を受け、船を造って生きのびます。後代のアッカド語文学には、同じ人物に当たるアトラ・ハシースやウトナピシュティムが登場します。標準バビロニア語版『ギルガメシュ叙事詩』では、ウトナピシュティムはウバラ・トゥトゥの息子で、シュルッパクの人と呼ばれます。

この二人に助言を語らせることで、作品は大きな権威を得ています。洪水前の古い世界の最後の世代から、新しい世界へ知恵を伝える人物に受け継がれた教えとして示されているのです。現代の概説にはシュルッパクを王と呼ぶものもあり、後代の伝承も彼を王権と結びつけます。しかし作品自体は、主に賢く知識の豊かな人物として描いています。これらの人物が実在したかどうかは分かっていません。

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中級

作品が生まれた世界:初期王朝時代のシュメール

紀元前3千年紀の半ば、メソポタミア南部には、ウル、ウルク、ラガシュ、ウンマ、ニップル、キシュ、シュルッパクなどの独立した都市国家がありました。それぞれに守護神、神殿の家政組織、支配者があり、チグリス川とユーフラテス川の水や土地をめぐって、時には武力で争いました。農業は灌漑用水路に頼っていたため、作品には畑、井戸、水をめぐる権利がたびたび現れます。

文字はその数世紀前、紀元前3400~3200年ごろに、主に会計のためにメソポタミアで生まれました。初期王朝時代第III期までには、王の碑文、契約書、単語表、最初期の文学作品など、さらに多くの用途に使われていました。『シュルッパクの教訓』は、『ケシュ神殿賛歌』や、同じ遺跡から知られる神々への一連の賛歌とともに、この最初期の文字文学に属します。

書記は学校で訓練を受け、文学作品も教材の一部でした。知恵の言葉を書き写すことで、語彙や文法を学ぶと同時に、価値観も受け継ぎました。『シュルッパクの教訓』は、教育、道徳、書く技術が交わるところに位置する作品です。

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中級

作品はどう残ったか:アブ・サラビーフからバビロンまでの粘土板

最古の写本は、初期王朝時代の二つの遺跡から見つかっています。ニップルの北西約20キロメートルにある小さな遺丘アブ・サラビーフは、古代にはエレシュと呼ばれた可能性があります。1963~65年にシカゴ大学東洋研究所が行った発掘では、くさび形文字の粘土板とその断片が約500点見つかりました。その中には、『シュルッパクの教訓』の写しを含む、発見例として最古級の文学作品がありました。アブ・サラビーフの文書は1974年にロバート・D・ビッグスが刊行しました。アダブからも、別の初期の写しの断片が知られています。

こうした初期の粘土板を読むのは非常に難しいことです。初期王朝時代のシュメール語の表記は簡略で、記号が読む順序どおりに書かれているとは限らず、文法を示す要素も多く省かれています。研究者は古い版を理解するために、後代の詳しい版を手がかりにすることがよくあります。ただし、両者を同一視しないよう注意が必要です。

紀元前1900~1700年ごろの古バビロニア時代には、特にニップルの書記学校で広く書き写されました。この版はより長く、表現も整えられており、現代の翻訳の多くはこれを基にしています。三つの主な部分から成り、それぞれシュルッパクがジウスドラに教えを授けるという導入の言い換えで始まります。最後は、文字と書記の学びをつかさどる女神ニサバをたたえる一行で終わります。

後代の断片には、紀元前2千年紀後半のアッカド語版や二言語併記版もあります。およそ千年の間に、言い回しは変化しました。失われた格言もあれば、新たに加わった格言もあり、言葉遣いも新しくなりました。したがって『シュルッパクの教訓』は、形の決まった一つの本文ではなく、さまざまな写しに残る、変化し続けた伝統です。

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中級

主なテーマ:慎重さ、言葉、社会秩序

慎重さは、この作品を貫く考え方です。助言の多くは、問題を避ける方法について述べています。財産を傷つけられやすい場所に置かない、他人の借金を引き受けない、争いに巻き込まれない、簡単に人を信用しない、といった教えです。理想とされるのは英雄的な人より、用心深く、分別があり、自分を律する人です。

言葉遣いには特別な注意が向けられています。不注意な言葉、自慢や中傷、軽々しい証言を戒める行が数多くあります。契約、争い、評判が、口頭の誓いや証人に大きく左右される社会では、発言を慎むことは道徳であると同時に、暮らしに役立つ知恵でもありました。

作品には、当時の社会秩序も映っています。畑、家畜、奴隷のいる家を前提とし、富裕な人と貧しい人、自由な人とそうでない人の違いを当然のものとしています。語り手は、男性の家長として、男性の跡継ぎに話しかけています。現代の読者は、家族の和や正直さといった時代を超える関心と、現代とは大きく異なる価値観の両方を読み取れます。

宗教は登場しますが、中心ではありません。いくつかの行には神々が現れ、最後には女神ニサバをたたえます。しかし助言の大半は、神の命令ではなく、実際に起こる結果を理由にしています。こうした生活に根ざした語り口は、メソポタミアの知恵文学に特徴的です。

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中級

「教訓」という形式の始まり:古代世界に広がる教え

『シュルッパクの教訓』は、古代近東に広く見られるようになった形式の、知られている限り最古の例です。父親や教師が息子や弟子に助言する形で書かれています。メソポタミアにはほかにも、『ウル・ニヌルタの教訓』や、アッカド語の『知恵の忠告』があり、学校で使われたシュメール語のことわざ集も多数あります。

エジプトでは、古い役人が息子に助言する形の『プタハヘテプの教訓』など、「教え」(セバイト)と呼ばれる並行した伝統が発達しました。ヘブライ語聖書の『箴言』も「わが子よ」と呼びかけ、他人の保証人になることや姦通を戒めるなど、シュメール語の作品と似た関心を示します。研究者は、詩人が弟に実用的・道徳的な助言を与えるギリシャの詩、ヘシオドスの『仕事と日』とも比較してきました。

こうした類似は、ある作品が別の作品を直接写したことを必ずしも意味しません。農業、家族、裁判、書記学校を基盤とする似た社会で、知恵を伝える似た方法が生まれたことを示しています。このシュメール語の作品が重要なのは、紀元前3千年紀にはすでに、この教え方が十分に形を整えていたと分かるからです。

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中級

再発見と現代における受容

ほかのシュメール文学と同様、『シュルッパクの教訓』も、くさび形文字が紀元後の初めの数世紀に使われなくなってから、二千年以上にわたって完全に忘れられていました。イラクでの近代の発掘と、19世紀後半から20世紀にかけてのシュメール語の解読によって、ようやく再発見されました。

ベント・アルスターが1974年に刊行した校訂版は、初めての本格的な学術研究でした。後の著書『Wisdom of Ancient Sumer』(2005年)も、今なお標準的な参考文献です。英訳は、オックスフォード大学の「シュメール文学電子テキスト集」(ETCSL)を通じて無料で読めるようになり、学生や一般の読者にも広く知られるようになりました。

現在、この作品は「世界最古の助言」として書籍や授業でよく取り上げられます。イラクの遺跡から出土した粘土板の多くは、バグダードのイラク博物館に保管されていました。近年、イラクの文化遺産が略奪や損傷を受けたことで、こうした粘土板を丁寧に記録し、刊行することがいっそう重要になっています。

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上級

研究上の論点:年代、諸版、解釈

最初期の版の年代。アブ・サラビーフとアダブの写本は、出土状況と文字の形の研究から、初期王朝時代第III期に位置づけられています。この時代の絶対年代は、採用するメソポタミアの編年法や放射性炭素年代の証拠によって変わるため、「紀元前2600~2500年ごろ」は概算です。作品の成立は現存する最古の写しより前かもしれませんが、それを直接示す証拠はありません。

一つの作品か、複数の作品か。初期王朝時代の版と古バビロニア時代の版を比べると、言い回し、順序、内容に大きな違いがあります。研究者の間では、改訂を重ねた一つの作品とみなすか、枠組みと多くの格言を共有する関連した作品群とみなすか、書記がさまざまに配列した柔軟な格言の集まりとみなすかが議論されています。校訂者は多くの写本から「合成本文」を復元しますが、古代の読者がそのとおりの本文を目にしたことはありません。

言語の理解。珍しい語、欠けた箇所、ことわざ特有の省略の多い表現のため、意味がはっきりしない格言が数多くあります。翻訳同士が大きく異なることもあり、優れた校訂版でも疑問符付きで訳される行があります。個々の行について断定的に言い換えた現代の説明は、慎重に受け止める必要があります。

作品の枠組みと洪水。なぜシュルッパクとジウスドラの言葉とされたのかも、議論の対象です。この枠組みは作品を洪水伝承に結びつけますが、その伝承は主として後代の資料から知られています。洪水を背景とする設定が最初からあったのか、後の版でより目立つようになったのか、また洪水物語の発展とどう関係するのかは、未解決の問題です。

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上級

証拠と研究方法

証拠となるのは、ほとんどが破損した粘土板だけです。アッシリア学者は、同じ作品に属する断片を特定し、可能なら接合し、写本ごとの異同を記録しながら、一行ずつ合成本文を組み立てます。この研究は、バグダード、フィラデルフィア、シカゴなどの博物館の所蔵品と、粘土板の出土地の綿密な記録に支えられてきました。

出土状況も重要です。古バビロニア時代の写しは学校に関係する場所から見つかることが多く、書記教育に使われたと考えられます。一緒に見つかったほかの文書、粘土板の形、練習用か清書かを調べることで、作品がどのように使われ、なぜ残されたのかを理解できます。

比較研究も一つの方法です。『シュルッパクの教訓』をシュメール語のことわざ集、後代のアッカド語の知恵文学、エジプトの教訓文学、聖書の『箴言』と並べると、共通する形式や主題が見えてきます。ただし研究者は、明確な証拠なしに直接の借用を想定しないよう注意しています。ETCSLのような電子資料集によって、現在ではシュメール文学全体の語彙や表現を系統的に検索できます。

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重要なポイント

知恵文学
神話や叙事詩を語る代わりに、ことわざや助言などを通して、暮らしに役立つ知識や道徳を伝える文学。
父から息子への教訓
年長の男性が息子に助言する枠組み。メソポタミア、エジプト、古代イスラエルで一般的な形式になった。
慎重さ
不要な危険を避ける、注意深く分別のあるふるまい。この作品の中心となる価値観。
言葉を慎むこと
不注意な言葉、自慢、うそを戒める繰り返しの教え。そうした言葉は争いを生み、評判を傷つけかねない。
洪水前からの知恵
洪水伝説の主人公ジウスドラを聞き手にすることで、助言を古く権威あるものとして示している。
変化し続けた作品
およそ千年にわたって改訂と書き写しが続いたため、いくつもの異なる版が残っている。
書き写して学ぶこと
書記を目指す生徒は、このような作品を書き写し、文字や言葉を学ぶと同時に道徳的な教えも身につけた。

記録

  1. 紀元前3300年頃 — メソポタミア南部で、まず会計のために文字が発達する。
  2. 紀元前2600年頃 — 初期王朝時代第III期。シュメールの都市に最初期の文学作品が現れる。
  3. 紀元前2500年頃 — アブ・サラビーフとアダブの書記が、現存する『シュルッパクの教訓』最古の写しを書く。
  4. 紀元前1800年頃 — 古バビロニア時代。特にニップルの書記学校で、より長い標準的なシュメール語版が書き写される。
  5. 紀元前1200年頃 — 紀元前2千年紀後半。アッカド語版と二言語併記版の断片から、なお書き写されていたことが分かる。
  6. 1963年 — 東洋研究所によるアブ・サラビーフの発掘(1965年まで)で、『教訓』の写しを含む初期の粘土板約500点が見つかる。
  7. 1974年 — ロバート・D・ビッグスがアブ・サラビーフの粘土板を刊行し、ベント・アルスターが『教訓』の本格的な校訂版を刊行する。
  8. 2005年 — アルスターの『Wisdom of Ancient Sumer』に、改訂された校訂本文と翻訳が収められる。

用語集

シュメール
古代メソポタミアの最南部。現在のイラク南部に当たり、最初期の都市のいくつかが生まれた地域。
シュメール語
シュメールで使われた言語。現在知られているほかのどの言語とも系統関係が確認されていない。
アッカド語
メソポタミアのセム語族の言語。くさび形文字で書かれ、日常生活では徐々にシュメール語に取って代わった。
くさび形文字
葦の筆記具を粘土に押しつけて、くさび形のしるしをつくる文字。
粘土板
文字を書くための平たい粘土の板。乾燥させたり焼いたりすると、数千年残ることがある。
初期王朝時代
シュメールの都市国家が競い合った、紀元前2900~2350年ごろの時代。
古バビロニア時代
紀元前2000~1600年ごろ。多くのシュメール文学が学校で書き写された時代。
格言
行動の指針や一般的な真理を表す、短い言葉。
アッシリア学
古代メソポタミアとその言語・文書を研究する学問。
合成本文
断片的な写本を多数組み合わせ、現代の研究者が復元した作品の本文。

よくある質問

本当に世界最古の本なのですか?

紀元前2600~2500年ごろの写しが残る、現存する最古級の文学作品の一つです。同じ時期の『ケシュ神殿賛歌』など、同じくらい古いシュメール語の作品もあるため、「最古級の一つ」と呼ぶのが正確です。

誰が書いたのですか?

分かっていません。作品は洪水前の人物シュルッパクの言葉として語られますが、実際に書いたのは名の伝わらない書記たちで、何世紀にもわたり改訂されました。

いちばんおもしろい助言は何ですか?

鳴き声の大きいロバを買うな、ビールを飲みながら人を裁くな、という教えを楽しむ読者が多くいます。4500年前の人々も、ごく身近なことを気にかけていたと分かります。

ジウスドラはノアと同じ人ですか?

同じ人物ではありませんが、共通点のある洪水伝承の登場人物です。ジウスドラはシュメールの洪水物語の主人公です。後代のメソポタミアの物語にはアトラ・ハシースやウトナピシュティムとして登場し、研究者は長く、これらの物語を聖書のノアの物語と比較してきました。

同じ行の翻訳が大きく違うのはなぜですか?

初期のシュメール語の表記は非常に簡略で、壊れた粘土板も多く、ことわざは短く、意味をほのめかす表現を使います。翻訳者は断片から意味を復元しなければならないため、解釈が定まらない行もあります。

初期王朝時代の版と古バビロニア時代の版はどう関係していますか?

枠組みと多くの格言は共通しますが、長さ、言い回し、順序が異なります。後の版は内容がより詳しく、古い版を読む手がかりになります。ただし、二つを同じものとして扱うことはできません。

どこで読めますか?

英訳はオックスフォード大学の「シュメール文学電子テキスト集」(ETCSL)で読めます。ベント・アルスターの『Wisdom of Ancient Sumer』にも学術的な校訂本文と翻訳が収められています。

出典・参考文献

  1. Instructions of Shuruppak. Wikipedia
  2. Abu Salabikh. Wikipedia
  3. Shuruppak. Wikipedia
  4. Ziusudra. Wikipedia
  5. Sumerian literature. Wikipedia
  6. Wisdom literature. Wikipedia
  7. The instructions of Šuruppag (ETCSL 5.6.1). The Electronic Text Corpus of Sumerian Literature, University of Oxford
  8. Bendt Alster, Wisdom of Ancient Sumer. CDL Press, 2005
  9. Jeremy Black, Graham Cunningham, Eleanor Robson, Gábor Zólyomi, The Literature of Ancient Sumer. Oxford University Press, 2004
  10. Robert D. Biggs, Inscriptions from Tell Abū Ṣalābīkh (Oriental Institute Publications 99). University of Chicago Press, 1974

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上記の公開資料をもとにAIの支援を受けて執筆し、新たな研究に応じて改訂しています。

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