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子ども向け
今から約2300年前、エジプトの新しい都アレクサンドリアに、エウクレイデスというギリシア人の数学の先生が住んでいました。英語ではユークリッドとも呼ばれます。彼がどんな顔をしていたのか、どこで生まれたのかさえ、私たちはほとんど知りません。でも、彼が書いた本のことはよく知っています。
その本は『原論』といいます。「点とは部分をもたないものである」「どんな2点の間にも直線を引くことができる」といった、とても簡単な考えから始まります。この小さな出発点から、エウクレイデスは積み木で高い塔を組み立てるように、より大きな考えをひとつずつ証明していきます。
新しい考え(「命題」と呼ばれます)は、それより前に確かめられたことだけを使って証明されます。絵を見て正しそうだから、という理由だけでは何も認められません。「証明」と呼ばれるこの考え方は、今の数学者たちも使っています。
『原論』は図形のことだけを扱っているのではありません。2つの数を割り切る最大の数を見つける方法も示していますし、2、3、5、7、11…といった素数がどこまで数えても尽きることがないということも証明しています。
およそ2000年もの間、ヨーロッパや中東、そして後には中国をはじめとする多くの地域の学生たちが、エウクレイデスの本で数学を学びました。手で書き写され、アラビア語やラテン語、中国語など多くの言語に翻訳され、印刷された版だけでも千を超えます。
エウクレイデスが出発点に置いた規則のひとつ、決して交わらない直線についての規則は、何百年もの間人々を悩ませました。1800年代になって数学者たちは、その規則を変えると新しい種類の幾何学が生まれることを発見し、それは後に曲がった宇宙を説明するために科学者たちに使われました。エウクレイデスの本は、彼自身が想像もしなかった考えにまでつながったのです。
ひと目でわかる
- 活動時期
- 紀元前300年頃(伝統的にはプトレマイオス1世治世、在位紀元前305/304〜282年)。生没年は不明
- 活動地
- プトレマイオス朝支配下のエジプト、アレクサンドリア。ムセイオンとの関わりが推測される
- 言語
- 古代ギリシア語
- 主著
- 『原論(ストイケイア)』全13巻:平面幾何学、比例論、数論、通約不可能量、立体幾何学
- 現存するその他の著作
- 『デドメナ(与件論)』『光学』『天体現象論』『図形の分割について』(アラビア語で伝存)、『反射光学』(著者について異論あり)
- 散逸した著作
- 『円錐曲線論』『ポリスマ』『偽書論』『曲面軌跡論』
- 生涯についての主な古代の典拠
- プロクロス(5世紀)とアレクサンドリアのパップス(4世紀)。最古の言及はアポロニオス『円錐曲線論』(紀元前200年頃)
- 代表的な業績
- 公理的・演繹的方法、ユークリッド幾何学、素数の無限性に関する定理、ユークリッドの互除法
やさしい
エウクレイデスとは誰か
エウクレイデスは、しばしば「幾何学の父」と呼ばれる古代ギリシアの数学者である。アレクサンドロス大王が建設し、ギリシア語を話すプトレマイオス朝の王たちが治めたエジプトの都市アレクサンドリアで暮らし、教えた。年代は通常、紀元前300年頃とされる。
彼を有名にしたのは、何よりも一冊の本、『原論』である。この中で彼は、それ以前の数世紀にギリシアの数学者たちが発展させてきた幾何学と算術を集め、あらゆる結果をそれ以前の結果から証明する、ひとつの論理の鎖に組み立てた。定理の多くは他の人々によって発見されたものだが、その構成と多くの証明、そして全体の設計によって、この本は2000年以上にわたり数学の標準的な教科書となった。
エウクレイデスは、アルキメデスやペルガのアポロニオスと並んで、一般に古代最大の数学者の一人に数えられる。今日「ユークリッド幾何学」といえば、多くの人が学校で学ぶ、平坦な空間についての普通の幾何学を指す。
やさしい
彼の生涯について分かっていること、分かっていないこと
エウクレイデスの生涯については、確かなことがほとんど何もない。同時代の著述家で彼について記した者はおらず、生前の肖像も残っていない。後世の美術に描かれたエウクレイデスの姿は、すべて想像によるものである。彼について語られることの大半は、600〜700年後に生きた二人の学者、アレクサンドリアのパップス(4世紀初め)とプロクロス(5世紀)に由来する。
プロクロスは、エウクレイデスがプラトンの弟子たちより後、アルキメデスより前、最初のプトレマイオス王の時代に生きたと記している。これはおおよそ紀元前300年頃にあたる。パップスは、後の数学者アポロニオスがアレクサンドリアでエウクレイデスの弟子たちに学んだと述べており、これはエウクレイデスがそこに数学の学派を築いたことを示唆する。彼の著作がプラトン周辺の幾何学を土台としていることから、アテナイでプラトンの後継者たちに学んだのではないかとよく推測されるが、これは推測にすぎない。
彼については二つの有名な逸話が伝えられている。ひとつは、プトレマイオス王が幾何学を学ぶ近道を尋ねたところ、エウクレイデスが「幾何学に王道なし」と答えたというもの。もうひとつは、幾何学を学んで何の得があるのかと尋ねた学生に対し、「学んだことから利益を得ねばならぬ者だから」と召使いに硬貨を与えるよう命じたというものである。どちらの逸話も数百年後に書き記されたものであり、最初の逸話とほぼ同じ話が、別の数学者とアレクサンドロス大王についても伝えられているため、歴史家たちはこれらを伝説として扱っている。
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アレクサンドリア:学問の新しい都
アレクサンドリアは紀元前331年に建設された。アレクサンドロスの死後、その将軍プトレマイオスがエジプトを掌握し、紀元前306年頃から始まった彼の統治は、アレクサンドロスの後継者たちの戦乱の中では珍しい安定をもたらした。プトレマイオス朝は、研究と教育の中心である「ムセイオン(ムーサ女神たちの神殿)」や、有名な図書館といった大きな施設を築いた。
ギリシア世界各地から学者たちがアレクサンドリアに集まった。エウクレイデスはしばしばムセイオン最初期の学者の一人として想像されるが、古代の史料がそれを直接に伝えているわけではない。はっきりしているのは、アレクサンドリアが数世紀にわたりギリシアの数学と科学の中心地となり、エラトステネスやヘロン、天文学者クラウディオス・プトレマイオス、パップス、テオンといった後代の人物たちの本拠地となったことである。
こうしてエウクレイデスは、ひとつの合流点に立っている。彼はプラトンとアリストテレスの世代がアテナイで発展させた数学を受け継ぎ、彼の著作はそれに続くアレクサンドリアの伝統の土台となった。
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『原論』:13巻の構成
『原論』(ギリシア語でストイケイア)は「巻」と呼ばれる13の部分に分かれており、実質的には長い章のようなものである。第1巻から第6巻までは平面幾何学を扱い、三角形、平行線、面積、円、正多角形、相似図形などが登場する。第5巻は、おそらくクニドスのエウドクソスの業績にもとづく、比と比例についての一般理論を提示する。
第7巻から第9巻までは整数を扱い、整除、素数、連比をなす数について論じる。もっとも長く難解な第10巻は、通約不可能な(現代でいう無理数の)長さを分類する。第11巻から第13巻までは立体幾何学に進み、5つの正多面体(正六面体、正四面体、正八面体、正十二面体、正二十面体)の作図と、それ以外に正多面体が存在しないことの証明で締めくくられる。
後代の写本の多くには第14巻と第15巻が加えられているが、これらは別の著者によるもので、第14巻はヒュプシクレスの作とされる。『原論』には序文も、歴史的な言及も、個人的な記述もほとんどない。定義、仮定、命題と証明が、それぞれ図とともにひたすら連なっているだけである。
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方法:定義、公準、証明
第1巻は「点とは部分をもたないものである」「線とは幅のない長さである」といった23の定義から始まる。これに5つの公準と5つの共通概念が続く。公準は、定規とコンパスによる幾何学の基本的な作図、すなわち2点の間に直線を引くこと、直線を延長すること、任意の中心と半径で円を描くことを認めるものであり、また、すべての直角は互いに等しいとも述べる。共通概念は「同じものに等しいもの同士は互いに等しい」「全体は部分より大きい」といった、量についての一般的な真理である。
それ以外はすべて命題であり、実行すべき作図である「問題」と、証明すべき言明である「定理」のいずれかである。それぞれの命題は一般的な言葉で述べられ、図によって示され、それ以前に確立されたことだけを使って一段ずつ証明され、最後に決まった文句で締めくくられる。この文句は後にラテン語で「証明されるべきことであった」(quod erat demonstrandum、QED)と訳された。
明示的に述べられたわずかな出発点から、ひとつの分野全体が育っていくこの公理的・演繹的な構造こそ、エウクレイデスがもっとも長く残した遺産である。後の哲学、物理学、数学の書き手たちは、繰り返しこの形式を借用した。アリストテレスはすでに第一原理と論証について論じており、エウクレイデスの用語もそうした議論と響き合うが、『原論』はこの方法を大規模に実践した、現存する最古の例である。
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『原論』の有名な成果
第1巻はピタゴラスの定理(命題47)とその逆(命題48)で終わる。これはこの定理の現存する最古の証明であり、その図は「風車」や「花嫁の椅子」とあだ名で呼ばれることもある。同じ巻の命題5(二等辺三角形の底角は等しい)は、中世ヨーロッパで、力の足りない学生が渡れない「ロバの橋(pons asinorum)」として知られるようになった。
第7巻は、今日ユークリッドの互除法と呼ばれる手順から始まる。2つの数の最大公約数を求めるには、余りが0になるまで大きい方から小さい方を繰り返し引く(あるいは割る)というものである。これは今も日常的に使われている最も古いアルゴリズムのひとつで、コンピュータの暗号技術にも用いられている。第9巻の命題20は、素数がどのような数よりも多く存在すること、つまり素数が尽きることはないことを証明しており、その論法は今も教えられている。
第2巻の命題11とそれに続く命題は、線分を「外中比」に分割する作図、すなわち今日の黄金比を扱い、これは正五角形、正十二面体、正二十面体を作るのに用いられる。第12巻は積分法の先駆けである取り尽くし法を用いて、たとえば円錐の体積が底面と高さの等しい円柱の3分の1であることを示す。
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エウクレイデスのその他の著作
エウクレイデスは『原論』以外にも多くの著作を書いた。『デドメナ(与件論)』は、図形のある要素が「与えられて」いるときに何が導き出せるかを説明する、いわば問題解決の手引きである。『光学』は現存する最古のギリシアの遠近法についての論考で、視覚を目から円錐状に広がる直線(視線)として扱い、たとえば遠くにあるものがなぜ小さく見えるのかを証明する。『天体現象論』は球面幾何学を天文学に応用し、地球から見た天球の運動を記述する。
アラビア語訳の形で一部のみが伝わる『図形の分割について』は、図形を与えられた比で切り分ける問題を扱う。鏡について論じた『反射光学』は彼の著作とされるが、多くの学者はこれを疑っている。
いくつかの著作は失われ、後代の記述によってのみ知られている。後にアポロニオスの著作に取って代わられた円錐曲線についての全4巻『円錐曲線論』、特殊な種類の命題およそ200個を集めた『ポリスマ』、初学者が誤りを避ける助けとなる幾何学的な誤謬についての『偽書論』、そして『曲面軌跡論』である。
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『原論』が世界を旅した道のり
『原論』の最古の証拠は、エジプトのエレファンティネから出土した紀元前3世紀の6点のオストラコン(文字を記した陶器の破片)で、第13巻の命題を扱っている。本文を含む現存最古のパピルスであるオクシリンコス・パピルス29番は、西暦75〜125年頃のものである。4世紀にはアレクサンドリアのテオンが校訂本を作り、これがその後のほぼすべてのギリシア語写本の基礎となった。
800年頃、カリフのハールーン・アッラシードの治世下で、アル=ハッジャージュ・イブン・ユースフ・イブン・マタルが『原論』をアラビア語に翻訳し、後にイスハーク・イブン・フナインによる翻訳がサービト・イブン・クッラによって改訂された。イスラム世界の数学者たちはこの著作を研究・注釈・拡張し、平行線公準を証明しようとする試みもそこに含まれる。1120年頃、イングランドの修道士バースのアデラードがアラビア語版をラテン語に翻訳し、13世紀のノヴァーラのカンパヌスによるラテン語版が西欧の標準となった。
1482年にヴェネツィアでエルハルト・ラトドルトが出した最初の印刷版は、最も早い時期に印刷された数学書のひとつであり、その後千を超える版が続いた。最初の英語訳は、ヘンリー・ビリングズリーの翻訳にジョン・ディーが序文を付し、1570年に出版された。1607年にはイエズス会士マテオ・リッチと学者・徐光啓が最初の6巻を漢訳した『幾何原本』を出版し、これが東アジアにユークリッド幾何学を紹介するとともに、中国語(および日本語)に「幾何」という語をもたらした。
中級
第5公準と非ユークリッド幾何学
エウクレイデスの第5公準は、要するに、1本の直線が他の2本の直線と交わり、一方の側の内角の和が二直角より小さくなるならば、その2本の直線を十分に延長すればその側で交わる、という主張である。これは、ある直線の外の1点を通り、その直線に平行な直線がただ1本だけ存在する、という主張と同値である。他の公準に比べて長く、自明とは言いがたいため、エウクレイデス自身も第1巻の命題29に至るまでこれを使うのを避けている。
2000年にわたり、プトレマイオス、プロクロス、イブン・アル=ハイサム、オマル・ハイヤーム、ナスィールッディーン・トゥースィー、さらに後にはサッケーリのようなヨーロッパの数学者たちが、他の4つの公準からこれを証明しようとした。すべて失敗に終わったが、その努力の中で、これと同値な多くの命題が発見された。
19世紀初め、ニコライ・ロバチェフスキー(1829年発表)、ヤーノシュ・ボヤイ、そして公表はしなかったカール・フリードリヒ・ガウスは、第5公準が成り立たない矛盾のない幾何学を構築できることを示した。その後、ベルンハルト・リーマンがさらに別の種類の曲がった幾何学を発展させた。これらの非ユークリッド幾何学は、第5公準が他の公準から独立であることを証明し、後にアインシュタインの一般相対性理論の数学的な言葉となった。皮肉なことに、公準を証明したふりをせず仮定として提示したエウクレイデスの判断は、今日では彼の論理的洞察の証しと見なされている。
中級
後世への影響
『原論』はしばしば史上もっとも成功した教科書と評され、聖書に次いで、もっとも頻繁に翻訳・出版・研究されてきた書物のひとつとされる。ヨーロッパでは20世紀に至るまで数学教育の中核であり続け、「エウクレイデスを学ぶ」という言葉は、単に幾何学を学ぶことを意味した。
その影響は数学をはるかに超えて広がった。その確実性に感銘を受けた思想家たちは、哲学や倫理学、物理学を「幾何学的方法」で提示しようとした。スピノザの『エチカ』は定義・公理・命題の形で書かれ、ニュートンの『プリンキピア』も同様の様式に従っている。印刷された版はピエロ・デラ・フランチェスカのようなルネサンスの芸術家たちに影響を与え、1847年のオリバー・バーンによる版は、学習者を助けるために文字の代わりに色刷りの図を用いた。
エウクレイデスの名は、ユークリッド幾何学、ユークリッドの互除法、素数に関するユークリッドの定理、月のクレーター、そして暗黒宇宙の幾何学を地図化するために2023年に打ち上げられた欧州宇宙機関の「ユークリッド」宇宙望遠鏡に残されている。
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「エウクレイデス」とは誰だったのか:証拠、混同、諸仮説
エウクレイデスについて確実な最古の言及は、アポロニオス『円錐曲線論』第1巻の序文(紀元前2世紀初め)に見られ、3本・4本の直線に関する軌跡についてのエウクレイデスの扱いを批判している。アルキメデスとアポロニオスは『原論』の命題を当然のものとして扱っており、この著作が紀元前3世紀にはすでに流布していたことを示唆するが、アルキメデスは第5巻よりも古い比例論を用いている。プロクロスが年代推定の根拠としたアルキメデス『球と円柱について』の中のエウクレイデスへの一度きりの言及については、ヨハネス・ヒェルムスレウがそれを後代の挿入であると論じている。年代が確実な著作の中で『原論』が確かに引用されるのは、2世紀のガレノスとアフロディシアスのアレクサンドロスに至ってようやく現れる。
後世の伝承は混乱をいっそう深めた。ローマの逸話集の編者ウァレリウス・マクシムスは、プラトンと立方体倍積問題についての物語にエウクレイデスの名を持ち込み、中世のビザンツやラテンの著述家たちは、この数学者を、一世紀前のソクラテスの弟子であった哲学者「メガラのエウクレイデス」と混同した。1482年の印刷版『原論』では、彼は「メガラの人」と呼ばれている。ルネサンス期の学者たち、とりわけペトルス・ラムスがこの誤りを指摘した。中世のアラビア語の史料は、彼にナウクラテスという父親とテュロスという出身地を与えているが、歴史家たちはこれを創作とみなしている。
証拠が乏しいことから、歴史家ジャン・イタールは三つの仮説を提示した。エウクレイデスがひとりの歴史的な著者であったという説、彼がアレクサンドリアで一つの集団を率い、その構成員たちが著作に寄与しながら彼の名で書き続けたという説、あるいは、20世紀の数学者集団の集合的な筆名であった「ニコラ・ブルバキ」のように、「エウクレイデス」も集合的な筆名にすぎなかったという説である。大多数の歴史家は第一の説を受け入れているが、同時に、エウクレイデスが先人たちに大きく依拠しており、彼の学派がテキストの形成に関わった可能性も認めている。巻ごとの文体の違いは、彼が用いた資料の違いによって説明できる。
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テキストの復元と、時代錯誤なく読むこと
私たちが読む『原論』は復元されたテキストである。何世紀もの間、すべてのギリシア語写本は4世紀のテオンの校訂本に由来していた。1808年、フランソワ・ペイラールはヴァチカン図書館で、テオン系統に属さない写本(Vat. gr. 190、10世紀の書写)を発見した。J.L.ハイベアによる校訂本(1883〜1888年)は、これを他の写本で補いながらも最も信頼できる証人として扱い、トーマス・ヒースの英訳(1908年)はハイベアに従った。アラビア語訳には、二つのギリシア語系統の双方に見られる説明的な付加の多くが欠けており、これがより古く簡潔なテキストを保存しているのではないかという論争を引き起こした。この問題は今も未解決である。
解釈にもそれ自体の問題がある。第2巻が幾何学の姿をまとった代数的な恒等式、いわゆる「幾何学的代数」を含んでいるという見方は、20世紀初頭には定説だった。1970年代以降、サベタイ・ウングルのような歴史家たちは、これを時代錯誤だと批判し、ギリシアの量や比、数はそれ自体の枠組みで理解されるべきだと主張している。第5巻を実数論として、第10巻を現代的な意味での無理数論として読むことにも、同様の注意が必要である。
最後に、『原論』は論理的に完全無欠というわけではない。エウクレイデスはしばしば図が示すもの、たとえば第1巻命題1で描かれる2つの円が実際に交わるということや、順序や「間にあること」についての明示されない前提に頼っている。19世紀後半、モーリッツ・パッシュはこうした欠落を指摘し、ダフィット・ヒルベルトの『幾何学基礎論』(1899年)は完全な公理系を提供した。アルフレト・タルスキも後に別の公理系を示し、2017年にはマイケル・ビーソンらがコンピュータ証明支援システムを用いて、エウクレイデスに似た公理系にもとづき第1巻の命題を検証した。近年の一部の研究者は、エウクレイデスの図に基づく推論は単なる欠陥ではなく、それ自体の一貫した規則に従っていると論じている。
重要なポイント
- 公理的・演繹的方法
- 明示的に述べられた定義・公準・共通概念から出発し、それ以降のすべての言明を厳密にそこから証明していく方法。
- 証明
- 測定や見た目に頼らず、ある言明が必ず真であることを示す推論の連鎖。
- 定規とコンパスによる作図
- エウクレイデスの公準は直線と円を描くことだけを認めており、多くの命題はこの道具を使った作図である。
- 比例論
- 通約不可能な量も扱うことができる、量と量の比についての第5巻の一般理論。おそらくエウドクソスの業績に基づく。
- 素数の無限性
- ユークリッドの定理(第9巻命題20):どんな素数のリストにも、そこに含まれない素数が必ず存在する。
- ユークリッドの互除法
- 引き算(あるいは割り算)を繰り返して2つの数の最大公約数を求める手順。
- 平行線公準
- 第5公準のこと。その独立性が示されたことが19世紀の非ユークリッド幾何学の誕生につながった。
記録
- 紀元前331年頃 — エウクレイデスの生年についての現代の推定のひとつ(紀元前325年頃とする説や、推定を避ける立場もある)。
- 紀元前331年 — アレクサンドロス大王がアレクサンドリアを建設する(紀元前331年)。
- 紀元前300年頃 — プトレマイオス1世治世下のアレクサンドリアで活動し、『原論』を著す。
- 紀元前200年頃 — アポロニオスの『円錐曲線論』に、現存最古のエウクレイデスへの言及が現れる(紀元前2世紀初め)。
- 100年頃 — 『原論』の本文を含む現存最古のパピルス、オクシリンコス・パピルス29番(西暦75〜125年頃)。
- 370年頃 — アレクサンドリアのテオンが『原論』の校訂本を作成する。
- 450年頃 — プロクロスが『エウクレイデス「原論」第1巻註解』を著す。
- 800年頃 — ハールーン・アッラシード治世下、アル=ハッジャージュ・イブン・ユースフ・イブン・マタルが『原論』をアラビア語に翻訳する。
- 1120年頃 — バースのアデラードが『原論』のアラビア語版をラテン語に翻訳する。
- 1482年 — エルハルト・ラトドルトがヴェネツィアで『原論』の最初の印刷版を刊行する。
- 1607年 — マテオ・リッチと徐光啓が第1〜6巻の漢訳『幾何原本』を刊行する。
- 1829年 — ロバチェフスキーが、平行線公準が成り立たない幾何学を発表する。
用語集
- 原論(ストイケイア)
- エウクレイデスによる全13巻の著作。ギリシア語で、アルファベットの文字のような最も基本的な構成要素を意味する。
- 定義
- 「点とは部分をもたないものである」のように、用語の意味を述べる文。
- 公準
- 証明なしに受け入れられる基本的な仮定。エウクレイデスには5つあり、主に何が作図できるかについてのものである。
- 共通概念
- 「全体は部分より大きい」のような、量についての一般的な真理。今日では通常「公理」と呼ばれる。
- 命題
- 作図すべき問題、または証明すべき定理。第1巻には48個の命題がある。
- 通約不可能
- 正方形の一辺と対角線のように、共通の単位で測ることができない2つの量のあいだの関係。
- 取り尽くし法
- 既知の図形をどんどん小さく敷き詰めて面積や体積を求める方法。積分法の先駆け。
- 正多面体(プラトンの立体)
- 『原論』の最後で作図される5つの正多面体。
- 非ユークリッド幾何学
- 双曲幾何学や楕円幾何学のように、平行線公準を別のものに置き換えた幾何学。
- QED
- ラテン語 quod erat demonstrandum、「証明されるべきことであった」の意。エウクレイデスの証明を締めくくるギリシア語の決まり文句を訳したもの。
よくある質問
エウクレイデスは幾何学を発明したのですか?
いいえ。エジプト人やバビロニア人、そしてタレス、キオスのヒポクラテス、テアイテトス、エウドクソスといった先立つギリシア人たちが、すでに多くの幾何学の知識を持っていました。エウクレイデスはそれをひとつの論理体系にまとめ、証明を加えたのです。
エウクレイデスの顔立ちは分かっているのですか?
いいえ。彼が生きていた当時の肖像は残っていません。エウクレイデスの像や絵画は、後世の芸術家たちの想像によるものです。
『原論』は三角形と円だけを扱っているのですか?
いいえ。比、整数、素数、無理数の長さ、立体図形なども扱っています。
エウクレイデスは本当に「幾何学に王道なし」と言ったのですか?
おそらく、その言葉どおりではないでしょう。この逸話は約750年後にプロクロスによって初めて語られたもので、数学者メナイクモスとアレクサンドロス大王についても、ほとんど同じ話が伝えられています。
なぜ第5公準はそれほど重要だったのですか?
他の公準ほど自明とは思えなかったため、人々は2000年にわたってこれを証明しようとしました。数学者たちがそれを置き換え可能であることを示したとき、非ユークリッド幾何学が発見され、それは後にアインシュタインの重力理論に使われました。
今残っているギリシア語のテキストは、エウクレイデスが書いたそのままのものですか?
正確にはそうではありません。特にテオンの校訂本をはじめとする後代の版と、テオンの系統に属さない一つの写本を通じて伝わっています。ハイベアのような編集者たちがテキストを復元しましたが、どこまでが後から付け加えられたのかは今も議論されています。
エウクレイデスはひとりの人物ではなく、集団だった可能性はありますか?
彼についての証拠があまりに少ないため、一部の歴史家はこの可能性を提起していますが、大多数は、彼が先人の業績に依拠し、弟子の学派を持っていたかもしれない、実在の一人の人物であったと考えています。
出典・参考文献
- Euclid. Wikipedia
- Euclid's Elements. Wikipedia
- Parallel postulate. Wikipedia
- J. J. O'Connor and E. F. Robertson, Euclid of Alexandria. MacTutor History of Mathematics Archive, University of St Andrews
- David E. Joyce, Euclid's Elements (online edition with commentary). Clark University
- J. L. Heiberg (ed.), Euclidis Opera omnia. Teubner, Leipzig, 1883–1888
- Thomas L. Heath (trans.), The Thirteen Books of Euclid's Elements. Cambridge University Press, 1908
- Glenn R. Morrow (trans.), Proclus: A Commentary on the First Book of Euclid's Elements. Princeton University Press, 1970
関連記事
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- ウマル・ハイヤームセルジューク朝時代のペルシアの数学者、天文学者、哲学者。三次方程式を幾何学的に解き、1079年の暦法改革を主導した。彼の名を冠する四行詩は著名だが、作者については不明な点が多い。
上記の公開資料をもとにAIの支援を受けて執筆し、新たな研究に応じて改訂しています。
