国家

南越国

古代の王国で、広東・広西とベトナム中北部に位置する

この境界の期間
紀元前207–111年
成立
紀元前207年
終焉
紀元前111年
首都
番禺県
前身
秦朝蜀泮
後継
前漢北属期

概要

南越国(なんえつこく、漢語拼音:Nányuè、広東語イェール式:Nàahm-yuht、ベトナム語: Nam Việt / 南越)は、紀元前203年から紀元前111年にかけて5代93年にわたって中国南部からベトナム北部にかけての地方(嶺南地方)に自立した秦の元官僚の漢人の趙佗を国王とする王国(帝国)である。南粤・趙朝とも記す。

首都は番禺(現在の中国広東省広州市)におかれ、最盛期には現在の広東省及び広西チワン族自治区の大部分と福建省・湖南省・貴州省・雲南省の一部、ベトナム北部を領有していた。南越国は秦朝滅亡後、紀元前203年に南海郡の軍事長官である南海郡尉の趙佗が勢力下の南海郡に近隣の桂林郡と象郡を併せることによって建国された。紀元前196年と紀元前179年に、南越国は2度漢に朝貢し、漢の「外臣」となるが、紀元前112年、5代君主である趙建徳と漢の間で戦闘が勃発し、武帝により紀元前111年に滅ぼされた。

南越国は嶺南で誕生した初めての封建国家であり、秦の中原地方出身の統治者により先進的な政治制度と生産技術をもたらされ、秦末の乱世の中で嶺南地方に秩序と安定をもたらしたといえる。南越国の歴代君主が推し進めた「和輯百越」政策は、漢族と南越国内部の各民族間の融和をも促進し、同時に漢文化と漢字が嶺南地方へと移入され、嶺南文化に大きな影響を与えることになる。

ウィキペディアからの抜粋 · CC BY-SA 4.0

すべての統治者(1)

  1. 趙佗紀元前207–137年

情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。

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