国家
鎌倉幕府
源氏・北条氏による日本の武家政権
- この境界の期間
- 1200–1333年
- 成立
- 1200年
- 終焉
- 1333年
- 首都
- 鎌倉
- 政治体制
- 封建君主制
- 宗教
- 神仏習合
- 前身
- 平氏政権
- 後継
- 建武の新政
概要
鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、源頼朝が創設した日本の武家政権。この時代を鎌倉時代という。
頼朝の死後、幕府に仕えた坂東武士(御家人)の権力闘争によって、頼朝の嫡流(源氏将軍)は断絶し、将軍職は藤原氏からの摂家将軍、さらに皇族出身の宮将軍へと継承された。しかしこの過程で将軍は名目上の存在となり、北条氏による執権、やがて北条義時の嫡流である得宗、末期はその陪臣(御内人)である内管領が鎌倉幕府の実質的な支配者となった。元弘3年(1333年)閏2月に船上山で後醍醐天皇が挙兵すると、幕府は名越高家と足利尊氏を鎌倉方の総大将として派遣するが、同年4月27日に高家が戦死し、4月29日に高氏が反幕府側に寝返ると、5月8日に関東で新田義貞が寝返って鎌倉に攻め入り、短期間のうちに形勢が変わり、同年5月22日に鎌倉幕府は滅亡した。鎌倉幕府が築いた武家政権の基礎は、室町幕府および江戸幕府へと継承された。
すべての統治者(16)
- 北条時政1203–1205年
- 北条義時1205–1224年
- 北条泰時1224–1242年
- 北条経時1242–1246年
- 北条時頼1246–1256年
- 北条長時1256–1264年
- 北条政村1264–1268年
- 北条時宗1268–1284年
- 北条貞時1284–1301年
- 北条師時1301–1311年
- 北条宗宣1311–1312年
- 北条煕時1312–1315年
- 北条基時1315–1316年
- 北条高時1316–1326年
- 北条守時1326–1333年
- 北条貞顕1326年
記録 (14)
- 1213年 — 和田合戦反乱
- 1221年 — 宇治川の戦い戦い
- 1221年 — Battle of Kyoto戦い · Kamakura Shogunate ▸ Former Emperor Go Toba
- 1247年 — 宝治合戦戦い
- 1274年 — 元寇侵攻
- 1274年 — 文永の役戦い
- 1274年 — 対馬侵攻戦い
- 1274年 — 壱岐の戦い (1274年)戦い
- 1274年 — Battle of Hakata Bay戦い · Japan ▸ Mongols, Korea
- 1281年 — 弘安の役戦い
- 1281年 — Battle of Hakata Bay戦い · Japan ▸ Mongols, Korea
- 1305年 — 嘉元の乱反乱
- 1331年 — Battle of Akasaka戦い · Japanese Regent Hojo Takatoki ▸ Kusunoki Masashige
- 1333年 — 分倍河原の戦い戦い
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。