国家
フランス領ルイジアナ
かつて北アメリカに存在したフランスの植民地
- この境界の期間
- 1682–1804年
- 成立
- 1682年
- 終焉
- 1804年
- 首都
- ニューオーリンズ
- 後継
- スペイン領ルイジアナ西フロリダルイジアナ買収
概要
フランス領ルイジアナ(フランスりょうルイジアナ、フランス語: La Louisiane、英語: Louisiana)は、北アメリカ大陸のフランス植民地・ヌーベルフランスの一管轄地域の名前である。17世紀から18世紀にかけての名称であり、この地方を探検したフランス人の探検家ロベール=カブリエ・ド・ラ・サールによって、フランス国王ルイ14世に因んでルイジアナと名づけられた。元々、その領域はミシシッピ川流域のほとんどを含んでおり、南北は五大湖からメキシコ湾まで、東西はアパラチア山脈からロッキー山脈まで広大に広がっていた。管理上は、アーカンザス川から北のアッパー・ルイジアナ(フランス語: Haute-Louisiane)とローワー・ルイジアナ(フランス語: Basse-Louisiane)に分かれていた。現代のアメリカ合衆国ルイジアナ州は、フランス領ルイジアナのほんの一部に過ぎないが、これはこの歴史的な地域の名前を貰ったものである。
1682年にラ・サールがこの地域を探検して、フランスが領有権を主張したものの、人も財源も不足していたために大きな発展は暫くの間無かった。フレンチ・インディアン戦争において、フランスがイギリスに敗れたことにより、1763年にミシシッピ川を境として東側をイギリスに、西側はフロリダと引き換えにスペインに割譲された。フランスは秘密の条約で西側の領土を取り戻したが、ナポレオン・ボナパルトが1803年にアメリカ合衆国への譲渡(ルイジアナ買収)を決め、フランスの支配は終わった。
アメリカとイギリスの間の国境を定めるために結ばれた1818年の条約で、北緯49度線より北にあった部分をイギリス領カナダに編入し、そこは今日ではアルバータ州とサスカチュワン州の一部となっている。
記録 (12)
- 1736年 — Battle of Ackia戦い · Chickasaws ▸ France
- 1736年 — Battle of Chucalissa戦い · Chickasaw Indians ▸ France
- 1754年 — Battle of Fort Necessity戦い · France, Native allies ▸ United Kingdom, Virginia
- 1754年 — Battle of Great Meadows戦い · Virginia, United Kingdom ▸ France
- 1755年 — Battle of Monongahela戦い · France ▸ United Kingdom, Virginia
- 1758年 — Battle of Fort Duquesne戦い · France ▸ United Kingdom
- 1758年 — Battle of Snowshoes戦い · France, Indian allies ▸ United Kingdom
- 1759年 — Battle of Red River戦い · Commanche ▸ Spain
- 1760年 — Battle of Etchoe戦い · Cherokee Indians ▸ United Kingdom
- 1760年 — Battle of Fort Loudoun戦い · Cherokee Indians ▸ United Kingdom, South Carolina
- 1761年 — Battle of Etchoe戦い · United Kingdom ▸ Cherokee Indians
- 1762年 — フォンテーヌブロー条約 (1762年)条約
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。