国家
クレタ首長国
イスラーム勢力に支配されていた時期のクレタ島
- この境界の期間
- 820–961年
- 成立
- 820年
- 終焉
- 961年
- 首都
- イラクリオン
- 前身
- ビザンツ帝国領クレタ
- 後継
- ビザンツ帝国領クレタ
概要
イスラーム期のクレタは、クレタの歴史を便宜的に区分した場合の一区分である。本項では、始期をビザンツ帝国によって統治されていたクレタ島にイスラーム教徒の集団が侵入し、その支配を確立した820年代後半とし、終期をビザンツ帝国によってクレタ島が再征服される961年とする。820年代後半にクレタを征服したイスラーム教徒の集団は、征服時のまま一体性を失わず事実上独立した政権として続き、集団の長はアミールを名乗った。クレタのアミールはアッバース朝カリフに臣従を誓い、エジプトのトゥールーン朝とも緊密な紐帯を維持した。クレタはアラビア語で Iqritish といい、クレタ人は Iqritiya という。
824年頃、または827/828年頃に、イベリア半島(アンダルス)を追放されたアラブ人の一団がクレタ島を征服し、独立政権を作り上げた。ビザンツ人は842年と843年にテオクティストスの指揮で島を奪回すべく遠征を行い島の大半を制圧したものの、直後に撃退され最終的に再征服が達成されることはなかった。ビザンツ帝国によるその後の奪回の試みも全て失敗し、クレタ島の独立政権は135年ほどにわたり存続した。この国はビザンツ帝国の主たる敵の1つとなった。クレタ島のアラブ人はアミール(太守)の下で東地中海のシーレーンを制し、クレタ島はムスリムの海賊船団の前線基地、安全地帯としての役割を果たした。彼らはビザンツ帝国支配下のエーゲ海沿岸地域を荒らしまわり大きな被害を与えた。残された史料が少ないためにイスラーム期のクレタの歴史は、よく判っていない。ただ、イスラーム世界に残された記録によれば、当時のクレタ人(アンダルス人、アラブ人)は単に海賊活動を盛んに行っただけではなく、広域での貿易も行い、さらには農業にも力を入れていたと考えられる。クレタ島のアラブ人勢力はニケフォロス・フォカスによる960年から961年にかけての大規模な遠征によって終焉を迎えた。
記録 (3)
- 873年 — コリンティアコス湾の戦い海戦
- 960–961年 — カンダクス包囲戦包囲戦
- 960–961年 — Byzantine reconquest of Crete遠征
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。