国家
マジャパヒト王国
ジャワ島東部に存在したヒンドゥー教王国
- この境界の期間
- 1293–1527年
- 成立
- 1293年
- 終焉
- 1527年
- 首都
- トロウラン
- 宗教
- ヒンドゥー教
概要
マジャパヒト王国(マジャパヒトおうこく、ジャワ語: ꦏꦫꦗꦄꦤ꧀ ꦩꦗꦥꦲꦶꦠ꧀、インドネシア語: Kerajaan Majapahit)は、1293年にジャワ島東部で成立し、14世紀を中心に発展した王国である。王都は現在の東ジャワ州モジョケルト周辺に位置するトロウランに置かれたと考えられている。
マジャパヒトは、シンガサリ王国の王統を継承する形で成立し、ハヤム・ウルクの治世と宰相ガジャ・マダの時代に最盛期を迎えた。14世紀のマジャパヒトについては、宮廷詩人プラパンチャが1365年に著した『ナーガラクルターガマ』が重要な史料となっている。同書はハヤム・ウルクの巡幸、王族、行政、宗教、経済、交易、周辺地域との関係などを記録しており、2013年にはユネスコの世界の記憶に登録された。
マジャパヒトの勢力は最盛期にジャワ島外の広範な地域にも及んだと考えられている。ただし、『ナーガラクルターガマ』などに記された地域がすべてマジャパヒトの行政機構によって直接統治されていたことを意味するわけではない。ジャワ島の王都周辺における直接的な支配と、周辺地域との貢納・外交・軍事・婚姻・交易などを通じた政治的関係とは区別して考える必要がある。
マジャパヒトの衰退は、王位継承をめぐる内紛、地方勢力の自立、海上交易網の変化など複数の要因によって進行した。1478年をマジャパヒトの滅亡年とする説が伝統的に知られている一方、1478年以後もマジャパヒトの王統・政治勢力が存続したことを示す史料があり、16世紀前半までに段階的に政治的解体が進んだとする見解もある。
すべての統治者(1)
- Suraprabhawa1466–1468年
記録 (9)
- 1293年 — モンゴルのジャワ侵攻侵攻
- 1293年 — Battle of Daha戦い
- 1319年 — Ra Kuti uprising反乱
- 1355–1362年 — Majapahit Attack on Nansarunai侵攻
- 1357年 — ブバットの戦い戦い
- 1365年 — Majapahit invasions of Borneo侵攻
- 1404–1406年 — パルグルグ戦争戦争
- 1445年 — Battle of Ulu Muar戦い · Malaka ▸ Ayutthaya
- 1456年 — Battle of Batu Pahat戦い · Melaka ▸ Siam
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。