国家
バビロニア
メソポタミア南部の地域名
- この境界の期間
- 紀元前1900–539年
- 成立
- 紀元前1900年
- 終焉
- 紀元前539年
- 首都
- バビロン
概要
バビロニア(古希: Βαβυλωνία、英: Babylonia)、またはバビュロニアは、現代のイラク南部、ティグリス川とユーフラテス川下流の沖積平野一帯を指す歴史地理的領域である。南北は概ね現在のバグダード周辺からペルシア湾まで、東西はザグロス山脈からシリア砂漠やアラビア砂漠までの範囲に相当する。その中心都市バビロンは『旧約聖書』に代表される伝説によって現代でも有名である。バビロニアは古代においては更に南部のシュメール地方と北部のアッカド地方に大別され、「シュメールとアッカドの地」という表現で呼ばれていた。
バビロニアは世界で最も古くから農耕が行われている地域の一つであり、前4000年期には既に中東の広い範囲との間に交易ネットワークが張り巡らされていた。前3000年期には文字が使用され始めた。初めて文字システム体系を構築したシュメール人やアッカド人たちはバビロニア南部でウルやウルク、ニップル、ラガシュなどに代表される多数の都市国家を構築し、前3000年期後半にはアッカド帝国がバビロニアを含むメソポタミア全域への支配を打ち立て、更にウル第3王朝がそれに続いた。
前2000年期に入ると、アムル人(アモリ人)と呼ばれる人々がメソポタミア全域で多数の王朝を打ち立てた。バビロンに勃興したバビロン第1王朝は、ハンムラビ王(在位:前1792年-前1750年)の時代にメソポタミアをほぼ統一し、バビロンが地域の中心都市となる契機を作った。前2000年期後半にはカッシート人が作った王朝(バビロン第3王朝)が支配権を握り、古代オリエント各地の国々と活発に交流を行い、または戦った。カッシート人の王朝は東のエラムとの戦いによって滅亡した。
すべての統治者(5)
- ハンムラビ紀元前1792–1750年
- メロダク・バルアダン2世紀元前722–710年
- メロダク・バルアダン2世紀元前703年
- シャマシュ・シュム・ウキン紀元前668–648年
- ナボポラッサル紀元前626–605年
記録 (8)
- 紀元前1763年 — Battle of Hiritum戦い
- 紀元前1235年 — Babylonian–Assyrian War戦争
- 紀元前720年 — デルの戦い戦い
- 紀元前710年 — Conquest of Dur-Abi-hara戦い
- 紀元前703年 — Battle of Kish戦い
- 紀元前693年 — ディヤーラー川の戦い戦い
- 紀元前652年 — Battle of Hiritum戦い
- 紀元前616年 — Battle of Gablini戦い
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。