国家
キリキア・アルメニア王国
Armenian Middle Ages state (1080–1375)
- この境界の期間
- 1080–1375年
- 成立
- 1080年
- 終焉
- 1375年
- 首都
- タルスス, コザン県
- 政治体制
- 君主制
- 言語
- 中世アルメニア語, ラテン語, 古フランス語, 中世ギリシャ語
- 宗教
- アルメニア教会
概要
キリキア・アルメニア王国(キリキア・アルメニアおうこく、アルメニア語: Կիլիկիայի Հայկական Թագավորություն、1080年あるいは1198年 - 1375年)は、現在のトルコ南岸部のキリキア地方においてアルメニア人により建国された王国である。単にキリキア王国、もしくはキリキアのアルメニア王国という言い方もされる。また、紀元前にカフカス地方に存在したアルメニア王国(大アルメニア王国)と区別して小アルメニア王国と呼ぶこともある。ただし、単に「小アルメニア」と呼ぶ場合は、古代の大アルメニア王国がローマ帝国によって部分的に間接統治されたときの地域・アルメニア属州のことを指すこともあるため、注意が必要である。
建国年については、第一王朝(ルーベン朝)の創始年である1080年を建国年とみなす説と、ローマ教皇らに王冠を授けられて独立国と認められた1198年とみなす説があり、文献によってまちまちである(本項では、あくまで章の分割の容易さなどから、前説を採ることにする)。1198年に当時のキリキア侯レヴォン2世が王として認められるまでは、代々の君主は侯 (prince) であり、国も王国ではなく侯国であった。
建国当時は隣にアンティオキア公国などの十字軍国家があり、それらの国々や西欧諸国と密接に関わっていた国である。
記録 (15)
- 1216–1218年 — Cilicia Campaign of Kaykaus I遠征
- 1218年 — Battle of Keban戦い
- 1221年 — Siege of Kalonoros包囲戦
- 1230年 — Battle of Yassıçemen戦い
- 1258年 — バグダードの戦い戦い
- 1260年 — アイン・ジャールートの戦い戦い
- 1260年 — アレッポ攻囲戦 (1260年)包囲戦
- 1266年 — Battle of Mari戦い
- 1276年 — Second Battle of Sarvandik'ar戦い
- 1281年 — ホムスの戦い (1281年)戦い
- 1292年 — Siege of Rumkale包囲戦
- 1299年 — ワジ・アックァザンダルの戦い戦い
- 1303年 — マージ・アル・サファーの戦い (1303年)戦い
- 1307年 — Siege of Anazarba包囲戦
- 1375年 — Fall of Sis包囲戦
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。