国家
ヒムヤル王国
古代のアラビア半島南部に存在した国家
- この境界の期間
- 紀元前110年 – 525年
- 成立
- 紀元前110年
- 終焉
- 525年
- 首都
- ザファール
- 政治体制
- 君主制
- 宗教
- ユダヤ教
- 前身
- Himyarite
概要
ヒムヤル王国(ヒムヤルおうこく、アラビア語: مملكة حِمْيَر、Mamlakat Ḥimyar、ヒムヤル語: 𐩢𐩣𐩺𐩧𐩣)とは、紀元前115年頃から525年にかけてアラビア半島南部のヤマン(イエメン)に存在していた国家である。首都はザファール(ラフジュ)。
王国の歴史は成立からエチオピアのアクスム王国の攻撃を受ける4世紀頃までの第一期、525年に滅亡するまでの第二期に分けられる。南アラビア史において主導的な役割を果たした国家であり、同時期に南アラビアに存在していたサバア王国、ハドラマウト王国と覇権を争った。523年にユダヤ教徒の国王ズー・ヌワースがナジュラーンに居住するキリスト教徒を弾圧した事件の後、ヒムヤル王国はアクスム王国、東ローマ帝国、イランのサーサーン朝の介入を受けて滅亡する。ただし、525年のアクスム王親征軍によりズー・ヌワースが破滅すると、アクスム王によってキリスト教徒のスムヤファ・アシュワァが王位に封じられている。その後にアクスム軍の将軍がクーデターで王位を簒奪している。以上のことから、真の滅亡は570年代とみられる。
記録 (6)
- 270–272年 — Himyarite-Axumite War戦争
- 280年 — Yawm al-Nakhla戦い
- 518–525年 — Aksumite invasion of Himyar侵攻
- 523–525年 — Siege of Najran包囲戦
- 570–578年 — アクスム・サーサーン戦争遠征
- 570年 — Aksumite siege of Mecca包囲戦
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。