国家
高句麗
古代北東アジアの王朝、主に中国東北部(満洲)と朝鮮半島にかけて存在していた
- この境界の期間
- 紀元前37年 – 668年
- 成立
- 紀元前37年
- 終焉
- 668年
- 首都
- 卒本扶余, 国内城, 平壌市
- 政治体制
- 君主制
- 言語
- 高句麗語
- 宗教
- 仏教
- 前身
- 夫余
- 後継
- 統一新羅唐
概要
高句麗(こうくり、コグリョ、朝鮮語: 고구려 朝鮮語発音: [ko̞.ɡu.ɾjʌ̹]、紀元前1世紀頃 - 668年10月22日)または高麗(こま、こうらい、コリョ、朝鮮語: 고려 朝鮮語発音: [ko.ɾjʌ])は今の大韓民国北部、朝鮮民主主義人民共和国から満洲の南部にかけての地域に存在した国家。最盛期には朝鮮半島の大部分、中国東北部南部、ロシア沿海地方の一部を支配した。朝鮮史の枠組みでは同時期に朝鮮半島南部に存在した百済・新羅とともに朝鮮の三国時代を形成した一国とされる。
『三国史記』の伝説によれば、初代王の朱蒙(東明聖王)が紀元前37年に高句麗を建てたとされるが、文献史学的にも考古学的にも高句麗の登場はこれよりもやや古いと見られている。漢の支配から自立し、3世紀以降、魏晋南北朝時代の中国歴代王朝や夫余(扶余)、靺鞨、百済、新羅、倭など周辺諸国と攻防を繰り広げ、5世紀には最盛期を迎えた。高句麗は東アジアで大きな影響力をもったが、589年に中国が統一され南北朝時代が終焉を迎えると、統一王朝の隋・唐から繰り返し攻撃を受けた。高句麗は長らくこれに耐えたが、660年には百済が唐に滅ぼされ、新羅も唐と結んだことで南北から挟まれた。そして国内の内紛に乗じた唐・新羅の挟撃によって668年に滅ぼされ、唐に吸収されて安東都護府が設置された。
すべての統治者(28)
- 東明聖王紀元前37–19年
- 瑠璃明王紀元前19年 – 18年
- 大武神王18–44年
- 閔中王44–48年
- 慕本王48–53年
- 太祖大王53–147年
- 次大王147–165年
- 新大王165–179年
- 故国川王179–197年
- 山上王197–227年
- 東川王227–248年
- 中川王248–270年
- 西川王270–292年
- 烽上王292–300年
- 美川王300–331年
- 故国原王331–371年
- 小獣林王371–384年
- 故国壌王384–391年
- 廣開土王391–413年
- 長寿王413–492年
- 文咨明王492–520年
- 安臧王520–531年
- 安原王531–545年
- 陽原王545–559年
- 平原王559–590年
- 嬰陽王590–618年
- 栄留王618–642年
- 宝蔵王642–668年
記録 (9)
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。