国家
琉球王国
かつて東アジアに存在した国家
- この境界の期間
- 1429–1879年
- 成立
- 1429年
- 終焉
- 1879年
- 首都
- 首里
- 政治体制
- 君主制
- 言語
- 琉球諸語, 漢文, 沖縄語
- 宗教
- 琉球神道, 仏教, 儒教
- 前身
- 北山王国中山王国南山王国三山時代
- 後継
- 琉球藩琉球国
概要
琉球王国(りゅうきゅうおうこく、沖縄語: 琉球王國(るーちゅーをーくく))、または琉球国(りゅうきゅうこく、沖縄語: 琉球國(るーちゅーくく))は、1429年(宣徳4年・正長2年・永享元年)から1879年の琉球処分まで(光緒4年・明治12年)の450年間、琉球諸島を中心に存在した独立国家。
14世紀までに沖縄本島中南部に勃興した勢力が支配権を確立して版図を広げ、最盛期には奄美群島と沖縄諸島および先島諸島までを勢力下においた。王族は当初、小規模なムラ社会(シマ)の豪族であったが、三山時代を経て1429年に沖縄本島を統一する頃には国家の体裁を整えた。琉球王国は当時の一般的な東アジア諸国家と同様に明に朝貢して冊封体制に入りつつ、他方で日本列島の中央政権にも外交使節を送っていた。ここにおいて、琉球側は室町幕府の将軍に服属的儀礼をおこなうなど、日本側を上位の存在とみる関係を内包していた。
1609年の島津氏による琉球侵攻の結果、薩摩藩および江戸幕府によって外交権と貿易権に大幅な制限が加えられ(「掟十五条」)、事実上「日清両属」となった。これ以降、統治権の制限に加えて琉球国王は即位や新将軍への慶賀など事あるごとに江戸へ赴き、将軍に拝謁させられることになった(謝恩使・慶賀使)。しかし、国交上は明国および清国への朝貢・冊封の体裁を保ち、内政についても薩摩藩・江戸幕府の介入は限定的だったとされる。1872年、廃藩置県の翌年に鹿児島県付庸国から明治政府直轄の琉球藩となったが、藩は明治政府の命令を拒絶は清との冊封体制と朝貢関係の続行を主張した。しかし、1876年の清への進貢船は中止された。1879年3月25日、明治政府は松田道之を処分官とする一行を派遣、兵士(熊本鎮台)300人から400人を引き連れ首里城に進軍し、「廃藩置県」の太政官命令書が読み上げられた。その4日後、尚泰王ら40名が首里を追われ、ここに琉球王国は消滅した。
すべての統治者(2)
- 尚寧王1589–1620年
- 尚泰王1848–1872年
記録 (3)
- 1458年 — 護佐丸・阿麻和利の乱反乱
- 1609年 — 琉球侵攻戦争
- 1854年 — 琉米修好条約条約
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。