国家
ズィール朝
Sanhaja Berber dynasty 972-1148
- この境界の期間
- 972–1148年
- 成立
- 972年
- 終焉
- 1148年
- 首都
- Achir, ケルアン, マーディア
- 政治体制
- 君主制
- 宗教
- スンナ派, シーア派
- 前身
- ファーティマ朝
概要
ズィール朝またはズィーリー朝、ジール朝、ジーリー朝(アラビア語 : الزيريون al-Zīrīyūn)は、イフリーキヤ(現在のチュニジア)を支配したベルベル人のイスラム王朝(973年 - 1148年)。その最大版図は、トリポリタニア(リビア西部)から現在のアルジェリア北部にまで及び、シチリア島も影響下にあった。
ズィール朝の始祖ブルッギーン・イブン=ズィーリーはファーティマ朝に仕えるベルベル人の軍人で、972年にカリフのムイッズが新たに征服されたエジプトのカイロに移り、王朝を東遷するにあたり、イフリーキヤ以西のマグリブの統治を委ねられたことによってイフリーキヤに政権を樹立した。ズィール家はカイラワーンに首都をおき、ファーティマ朝カリフの宗主権のもとでマグリブに安定した支配体制を築くことに成功し、978年にはファーティマ朝よりトリポリタニアの統治まで任されてリビアまで支配下においた。また979年から984年にかけては西マグリブに遠征しファスとシジルマーサを占領した。
983年、イフリーキヤの支配を受け継いだブルッギーンの子マンスールはファーティマ朝からの自立の意志を明らかにし、事実上独立した。しかし、1014年にはブルッギーンの別の子で、当時の君主バーディースの叔父にあたるハンマードがアルジェリア北東部においてザナータ族の土地を奪ってズィール朝からの独立を宣言し、ハンマード朝を立ててズィール朝から独立した。
ズィール朝は木材や鉄などの材料に恵まれたことから艦隊の建造に着手する。しかし艦隊は一度、シチリア島への航海中に嵐で破壊されてしまう。だが、バーディースの子で当時の君主アルムイッズはまた艦隊を再建し1026年から1035年にかけてビザンツ帝国のアドリア海岸、エーゲ海岸を攻撃した。
すべての統治者(1)
- ハンマード・イブン・ブルッギン1014–1028年
記録 (22)
- 1003年 — Siege of Gabès包囲戦
- 1011–1016年 — Zirid campaign in Al-Andalus遠征
- 1014–1018年 — Hammadid–Zirid War戦争
- 1015年 — Battle of Chelif River戦い
- 1015–1016年 — Siege of Qal'at Bani Hammad包囲戦
- 1015年 — Hammadid capture of Béja (1015)戦い
- 1016年 — Battle of Achir戦い
- 1036年 — Capture of Palermo戦い
- 1038年 — Battle of Rometta戦い
- 1038–1040年 — Campaign for Syracuse遠征
- 1040年 — Battle of Dranginai戦い
- 1041年 — Battle of Arjona戦い
- 1041年 — Siege of Messina包囲戦
- 1052年 — Battle of Haydaran戦い
- 1052年 — Battle of Yawm al-Nahr戦い
- 1052年 — Battle of al-Musalla戦い
- 1053年 — Battle of Kairouan戦い
- 1053年 — Siege of Sousse包囲戦
- 1063年 — チェラーミの戦い戦い
- 1068年 — メジルミーニの戦い戦い
- 1087年 — Mahdia campaign of 1087遠征
- 1116年 — Siege of Djerba包囲戦
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。