国家
ハワーリジュ派
イスラム教の宗派
- この境界の期間
- 657–874年
- 成立
- 657年
概要
ハワーリジュ派(アラビア語: الخوارج al-Khawārij)は、イスラーム教の初期に多数派(のちのスンナ派とシーア派)から政治的理由で分離することで成立した派。ハワーリジュは「出ていった者・離反した者」を意味し、単数形はハーリジー (خارجي Khārijī) である。広義にはウンマが合意したイマームに対して謀反を企てる者、狭義にはアリー軍とムアーウィヤ軍とで交わされた和議に反対し、アリー陣営から離反した者達をいう。
スンナ派においてスンナ派以外の宗派は異端とされるため、しばしば迫害を受けた。また、ハワーリジュ派は多くの宗派に分裂しており、主要な分派だけで6つあるとされるが、その大部分はウマイヤ朝の圧力を受け消滅し、現存するものはその分派の1つで穏健派のイバード派のみである。
現代においては、自派以外のムスリムを不信仰者として武力行使する集団や、反体制派に対してのレッテルとしても使われ、しばしば弾圧される。例としてワッハーブ派が興った際に、ハナフィー学派のイブン・アービディーンがそれらを「現代のハワーリジュ派」として糾弾した。
記録 (3)
- 843年 — Battle of Hamadan戦い
- 866–896年 — ハワーリジュ派の反乱反乱
- 874年 — Battle of al-Baida戦い
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。