国家
ニカイア帝国
東ローマ帝国の亡命政権
概要
ニカイア帝国(ニカイアていこく、英語: Empire of Nicaea / the Nicene Empire)とは、第4回十字軍の際に西ヨーロッパ諸国とヴェネツィア共和国の軍隊によって占拠されたコンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)から逃れた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の貴族により建国されたビザンツ系ギリシア人による3ヶ国の残存国家のうち、ビテュニアのニカイア(現在のイズニク)を首都とする国家を指す慣習的な歴史学上の国名である。1204年の東ローマ崩壊により形成されたトレビゾンド帝国やエピロス専制侯国(テッサロニキ帝国)と同様に、中世まで存続したローマ帝国の東半分の継承国である。
十字軍とヴェネツィア共和国軍のコンスタンティノープル周辺の占領後にラテン帝国として史学上知られる国家が樹立された。その間、ニカイア帝国はラスカリス家によって樹立され、1204年からコンスタンティノープルにて東ローマ帝国を復活させる1261年まで続いた。
すべての統治者(3)
- テオドロス1世ラスカリス1205–1222年
- ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス1221–1254年
- テオドロス2世ラスカリス1254–1258年
記録 (15)
- 1205年 — アドラミュティオンの戦い戦い
- 1207年 — Siege of Antalya戦い
- 1211年 — マイアンドロス河畔の戦い戦い
- 1211年 — Battle of Rhyndacus戦い · Latin Byzantium ▸ Byzantium
- 1214年 — ニンファエウム条約条約
- 1219年 — ニカイア・ヴェネツィア条約条約
- 1224年 — ポエマヌムの戦い戦い
- 1225–1231年 — Nicaean–Seljuk war戦争
- 1232年 — Siege of Karacahisar包囲戦
- 1255年 — Battle of Rhoupelion戦い
- 1256年 — Battle of Aksaray戦い
- 1256年 — Battle of Bizye戦い
- 1257–1259年 — Rebellion of Arbanon反乱
- 1259年 — Battle of Pelagonia戦い · Byzantine Nicea ▸ Epirus, Latin Byzantium, Sicily, Villehardouin
- 1261年 — ニンファエウム条約 (1261年)条約
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