国家
クルト朝
dynasty
- この境界の期間
- 1244–1381年
- 成立
- 1244年
- 終焉
- 1381年
- 首都
- ヘラート
- 政治体制
- 君主制
- 言語
- ペルシア語
- 宗教
- スンナ派
概要
クルト朝(Kurt dynasty)は、13世紀から14世紀にかけてイラン東部のホラーサーン地方を支配した、タジク人のスンナ派イスラム教徒の王朝。首都はホラーサーン地方の都市ヘラート。カルト朝(Kart dynasty)とも表記されるが、いずれの表記が正確なのかは定説が無く、王朝の名前の由来となった「クルト」の意味も明確になっていない。
クルト朝の王家は元々はゴール朝のスルターン・ギヤースッディーン・ムハンマドの封臣であり、ゴール朝の王室とつながりを持っていた。
13世紀半ばに、クルト朝はモンゴル帝国に臣従を誓う。モンゴル帝国の王族フレグが建国したイルハン国が成立した後はその臣従国としてアフガニスタンに相当する地域を支配し、クルト家はフレグ一門と婚姻関係を結んだ。1335年にイルハン国が無政府状態に陥った後、クルト朝の君主ムイズッディーン・フセインは王朝の勢力の拡大に努めた。クルト朝の統治下でモンゴル帝国の破壊によって荒廃したホラーサーン地方が復興されるとともに同地のイラン文化が維持されたが、1381年にティムール朝の攻撃によって王朝は滅亡した。
記録 (3)
- 1370年 — Battle of Balkh戦い · Tamerlane ▸ Husayn of Balkh
- 1381年 — Siege of Herat包囲戦
- 1383年 — Battle of Herat戦い · Timurid Empire ▸ Herat
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。