国家
クールラント・ゼムガレン公国
former duchy (1562–1795)
- この境界の期間
- 1561–1795年
- 成立
- 1561年
- 終焉
- 1795年
- 首都
- イェルガヴァ
- 政治体制
- 君主制
- 言語
- ドイツ語
- 宗教
- ルーテル教会
- 前身
- テッラ・マリアナ
概要
クールラントおよびゼムガレン公国(クールラントおよびゼムガレンこうこく、ラテン語: Ducatus Curlandiæ et Semigalliæ, ポーランド語: Księstwo Kurlandii i Semigalii, ドイツ語: Herzogtum Kurland und Semgallen, ラトビア語: Kurzemes un Zemgales hercogiste)は、1562年から1795年までバルト海沿岸部に存在した公国で、ポーランド王国とその後身であるポーランド・リトアニア共和国の封土。その名前はバルト人の部族であるクール人とセミガリア人にちなむ。1791年に完全独立を果たしたが、4年後の1795年3月28日、第3次ポーランド分割に際してロシア帝国に併合された。
クールラント・ゼムガレン公国の国称は1918年3月8日に成立した短命な戦時国家にも与えられた。このクールラント・ゼムガレン公国はドイツ帝国の従属国家であるバルト連合公国の一部を形成すると決められていたが、ドイツがバルト海海域において降伏すると同時に消滅した。公国の存在した地域は第一次世界大戦が終結するとともに民族国家ラトビア共和国の一部となった。
すべての統治者(1)
- エルンスト・ヨハン・フォン・ビロン1740年
記録 (2)
- 1605年 — キルホルムの戦い戦い
- 1658年 — Invasion of Courland侵攻
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。