国家
エストニア・ソビエト社会主義共和国
ソビエト連邦の構成共和国
- この境界の期間
- 1940–1945年
- 成立
- 1940年
- 終焉
- 1991年
- 首都
- タリン
- 政治体制
- レーテ共和国
- 前身
- エストニア共和国 (1918年-1940年)
- 後継
- エストニア
概要
エストニア・ソビエト社会主義共和国(エストニア・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく、エストニア語: Eesti Nõukogude Sotsialistlik Vabariik、ロシア語: Эстонская Советская Социалистическая Республика)は、ソビエト連邦構成共和国の一つである。エストニアSSRは、第二次世界大戦中の1940年6月16日 - 17日のソ連軍の侵攻・占領から1ヶ月後の1940年7月21日に、それまで独立していたエストニア共和国に代わって、名目上設立された。占領したソ連赤軍の支援を受けたスターリニストの傀儡政権が発足し、エストニアはソ連の選挙区となった後、1940年8月6日に「連邦共和国」としてソ連に編入された。エストニアは1941年にナチス・ドイツに占領され、1944年にソ連に再征服されるまではオストラント国家弁務官区の一部として統治された。
大多数の国家は、エストニアのソ連編入を法的(デ・ジュリ)には認めず、ソ連による実効支配を事実上(デ・ファクト)黙認したか、あるいは一切認めなかった。旧政府の名義で活動していたエストニアの外交官や領事らを引き続き公認する国家も存在した。この非承認政策は、法的継続の原則を生み出し、この原則の趣旨は法的(デ・ジュリ)にはエストニアは1940年から1991年まで占領下にあっても独立国家のままであるというものであった。
1988年11月16日、エストニアは当時ソ連構成国の中で初めて、モスクワの中央政府から国家主権を宣言した。1990年3月30日、新たに選出された議会は、エストニア共和国は1940年以降違法に占領されていたことを宣言し、国の完全な独立を回復するための移行期間を正式に発表した。その後、1990年5月8日に最高会議は、エストニア・ソビエト社会主義共和国という国名とソ連のシンボルが含まれる国章を廃止し、エストニア共和国を国の正式名称として採用した。エストニア議会は、1991年8月20日に完全な独立の回復を宣言した。ソ連は1991年9月6日に、エストニアの独立を正式に承認した。
すべての統治者(1)
- ヨハネス・バレス1940–1946年
情報源:Wikidata(CC0)、HCED(CC0)、Cliopatria(CC BY 4.0)。概要はWikipedia(CC BY-SA 4.0)からの抜粋です。